文化・風習

No44 氏神様祭 03/1/1

氏神様祭りを経験しました
前の日に締め縄を準備しました
左ないでなうのが本当らしい
しかしできないので普通のない方をしました
中央を太くするので加減がむずかしい
一度元になる縄を造りそれにもう一本ねじりながらかませて行きます
今年取れたわらを叩いてやわらかくしたものを使ます
約40分ほどかかりました
それを氏神様の社に飾りつけます
次の日に神主さんが、半紙を稲妻型に切ったものを2個取り付けます
当日は、米、塩、水、お神酒、赤飯の5品を盆に盛り付けて床神様に供えます
それぞれの神様には、榊を飾ります
氏神社の前には、神主様が、座れるように御座と座布団を用意します
70センチほどの竹を2本、玉具し用の榊を人数分と神様の数だけ準備します
普通、神様は、水の神、火の神の2つのようです
神事は、次のように進みます
神主さんは、まず竹を適当な長さに切り上部を半割にします
その間に半紙を加工したものをはさみます
床神様と氏神様社用の2本作ります
まず、床神にお払いをしてもらいます
このときわれわれも玉具し(お払いした榊)をそなえます
玉具しは、2礼2柏手1礼をもって行います
次にお供えを氏神社に移つし、同じようにします
その後水神。火の神のお払いをしてもらいます
最後に神主さんにお神酒を注いでもらいそれで、乾杯します
一度返杯して1杯戻してもらいます
神主さんが、帰った後お供えを下げ、その赤飯をいただきます
以上で、終わりです
かなり大変な準備でした
今までは、親達が、やっていました
初めての経験でした
このような、行事が、延々と伝わってきているのですね
聞くところによると、高千穂のお神楽も、氏神様祭りだそうです
ひょっとすると、同じながれの風習かもしれませんね

No43 上江座 02/12/24

「上江座」を聞いたことが、ありますか
「市川富三郎」(漢字は、違うかも・・)が、
一代で作り上げた歌舞伎座らしい
きょうは、ある高齢の方の話をお伝えします
一ッ瀬川近くの上江にあったそうです
明治始めころの話らしい
100ばあさんと呼ばれた人がいました
市川富三郎の奥さんだったそうです
子供にやさしくしてくれたらしい
それが、昭和はじめのころの記憶らしい
田畑や、家畜を沢山もっていて大きな屋敷に住んでいたそうだ
当時下田島一の成功者と言われていたらしい
富三郎は、貧しい家に生まれて小柄な人だったらしい
でも、舞台に立つと、芸がとてもうまく大きく見えたそうだ
身内を引き込んで旗揚げすると各地をまわり財をなしたそうだ
残念ながら「上江座」は富三郎の代で終わったらしい
今は、何もそれらしきものは、みあたらない
明治とという華々しい時代を象徴するような話だと思う
身分制度を抜け出した最初の佐土原人だったのかもしれません
もっと詳しく知りたいと思いました
でも子供のころのことであまり覚えていないそうです
そんな時代があったのですね
詳しく知ることができれば一つの小説が、できるかもしれませんね