金丸堰

    田島に金丸用水の石碑が、ありました
    気にかけていると見つかるものです
    金丸堰の改修工事の完成を祝って立てられたもののようです
    昭和50年完成とあります
    案内の地図を頼りに金丸堰まで、着てみました
    金丸氏をたたえる石碑等が、作られていました
    堰は、想像していたものよりりっぱなものでした
    この広い川幅をせき止めるのは、大仕事だったでしょう
    技術のなかった昔のことです
    苦労が、しのばれます
    はじめ金丸用水は、瀬口だけでした
    それが、一っ瀬川の両サイドにのびて、行きました
    今では、1,006Haを潅漑しているそうです
    そして、地元の協力により今も伸びつづけているそうです
佐土原の風景や、町並みは、いつ頃から今のようだったと思いますか

 今の田の広がる風景は、当然のように昔からあったと錯覚していました
実は、つい最近まで、桑や麦の畑が、主体だったそうです
つい最近というのは、戦後はもちろんですが、昭和30年代後半です
それまでは、一ッ瀬川の水を稲作に利用できなかったのです
だから、池を持つ地域だけが、米をつくれていたようです
田島や、巨田は、池を持っていたために古くから米をつくっていたようです
最初の地頭の伊東氏が、田島に本拠を構えたのもうなづけます
又、巨田神社は、古い歴史があるそうです

 代代の佐土原の支配者は、農政に熱心ではなかったのでしょう
商業と、漁業に力を入れたのかもしれません
戦後に堤防と金丸用水が、完成してから、今の姿があるようなのです
本当に激動の中を私達は、育ったのですね

 しかし金丸と言う人が、どんな人なのか全然わかりません
だれか知っている人は、いないでしょうか
できるまでには、いろいろな苦労もあったとおもいます
後から考えると歴史の分岐点とは、こう言ったところを言うのではないでしようか

 夢が、変化が、なくなったと最近よく耳にします
しかし知らないところで、大きな変化が起きているのではないでしょうか
どう思いますか。少し怖いですね
100年後を考えて生活したことが、ありますか
それと金丸用水を覚えていますか
初耳の人は、 No28 金丸用水 02/09/08を見てください
気にかけていると見つかるものです
今までに何回も通った道でした
そこに金丸用水の石碑が、建っていました
田島にありました
猫に小判とは、良く言ったものです
最近佐土原の歴史に興味を持っているせいでしょう
ふと、気づいて文字を読んでみました
そして、そこに書かれた地図を頼りに金丸堰に行ってきました

堰とは、川をせき止めて、水を脇に流すようにしたもののようです
一ッ瀬川をせき止めて潅漑に利用したのが、金丸堰です
思いのほか、立派なものでした
近くに金丸氏らの業績を称える石碑や写真等が展示してありました
それによると、金丸氏は、江戸時代の人で、柳瀬生まれだそうです
名を惣八といったそうです
若き日の写真が、ありました。立派な体格の人物のようでした
最初の完成が、明治4年(1870)のことだったそうです
初め、4キロの長さの用水でした
黒生野、柳瀬の40haを潅漑しました
そして、この堰からの水は、一ッ瀬川の両サイドに伸びました
現在では、1、006haに水を供給しているそうです
今も伸びつづけています
実に132年を経てもまだ成長しているのです
金丸氏は、自分の生まれた場所の貧困を救うために堰を造ったそうです

今の政治家は、100年先を見とうせるのでしょうか
私たちは、何のために生まれてきたのでしょうか