「島津奔る」がつなぐ友情の輪

目次

No5 「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第4章  by ひょうきんたろ 02/04/20
No4 「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第3章  by ひょうきんたろ 02/04/14
No3 「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第2章  by ひょうきんたろ 02/04/5
No2 「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第1章  by ひょうきんたろ 02/03/25

本文

No2 歴史小説「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第1章  by ひょうきんたろ 02/03/25
昨年(2000年)の5月ころから何ヶ月か 
歴史小説、池宮彰一郎著「島津奔る」を読みました。
ある人に勧められるまま、寝る前のベッドタイムストーリーとして
毎晩少しずつ読み進んでいました。
初めは何気なく読んでいたこの小説の世界に知らず知らず没入して
読んだ後も、長く小説の世界を長く引きずっていました。
戦国時代に20年間ほど佐土原を支配した武将島津豊久が、島津義弘の甥として準主人公で出てくるのです。
島津義弘を主人公に、関ヶ原の闘いの前後を舞台にしたものです
関ヶ原の戦いの後半部分で
東軍の家康の軍団の前を、島津軍団が敵前突破を始めるあたりから、がぜん盛り上がりました。
島津義弘の甥である島津豊久が、島津軍団のしんがりを務め、家康に追われる場面が あるのです。
豊久が佐土原から連れて来た数名の若者達と、家康の最強軍団が闘う場面などが出てきます。
-------- 続く--------
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この後豊久達は、どうなるのでしょう。楽しみですね。
大大作なので、分割して載せました。
No3 歴史小説「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第2章  by ひょうきんたろ 02/04/5
 読み進むうちに、佐土原のことを次から次に思い出しました。
佐土原には、島津家をまつった佐土原神社が佐土原保育園の裏にあったこと。
 いつだったかそこで、1年上のTさんが、薩摩示顕流の剣法で奇声を張り上げていました。
佐土原中学校の体育館の裏に、島津家のお墓があり天皇家から嫁がれた島津貴子さんが、夫君と参拝されていたこと。
多楽院の通りは昔、高麗町といったらしいこと。
 小学校4のころ、家の庭に池を掘ったところ、大量の陶器の破片があらわれました。
 郷土史家の青山先生によると 島津の殿様が朝鮮半島から連れ帰った人形師が、陶器を作って捨てた後だろうとのことでした。
-------- 続く--------
コメント
すごい知識ですね。全くの初耳です。まだまだ続きますよ。
紙面の都合上少し短くしました。ごめんなさい。
No4 歴史小説「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第3章  by ひょうきんたろ 02/04/14
この小説を読みはじめたころから、昔の友人との再会が相次ぎました。
仕事で知り合った方が佐土原中学の先輩とわかったり、
ある年輩の女性が佐土原出身で、高校の先輩とわかったりしました。
佐中50周年記念誌の発刊で、中学時代の仲間と連絡を取り始めたのも、このころでした。
A君の強い勧めで、その記念誌に寄稿をさせてもらいました。
その事を遠方に住むKちゃんに知らせたところ、メール交換が始まりました。
そして実に十数年ぶりの再会が、2000年のお盆に実現しました。
学生時代に知り合った複数の友人と、偶然の再会があったのも、この年の夏でした。
-------- 続く--------
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不思議ですね。隠れた自意識が、再会を促したのでしょうか
 
No5 歴史小説「島津奔る」がつなぐ友情の輪 第4章  by ひょうきんたろ 02/04/21
関ヶ原の闘いがあったのは、西暦1600年の9月16日だそうです
西暦2000年9月16日付けの辞令で、私は鹿児島転勤が決まりました
何と自分の誕生日に、読んでいた小説のクライマックス
関ヶ原の闘いのあったその日の日付けで転勤したのです
(関ヶ原の戦いのあった時代の暦は旧暦でした。太陽暦では1、2ケ月後のようです)
 島津豊久公の一家は、関ヶ原の戦いの後に、吹上町の永吉に帰ったようです
鹿児島で借りた単身赴任の部屋の横には、蕎麦屋がありました
その店で、「島津奔る」の話しをました
お店の板前さんがおっしゃるには、私の家内も9月16日生まれですとのことでした
それに、蕎麦屋さんの会長は吹上町の出身とのこと
島津豊久と縁故の人ではないかと、そんなことまで想像しました
 この話しは偶然でしょう
でも戦国時代の争いの物語りの話しで、友だちの輪が広がっていきました
 こういう味な出合いが継続できるのは、年の功というものでしょうか
 ----平成13年秋 完----
コメント
こうゆう結論だったのですね。
知識は、身を助けるですね。
次回からは、佐土原の歴史についてだそうです。
請う御期待