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歩み よだきんぼの歩みを記録することにしました。

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目次

No110 あ き ら め  04/05/15
No109 緩 み  04/05/5
No108 障  壁  04/04/7
No107 休息  04/03/13
No106 梅ちらし  04/03/13
No105 下準備  04/03/6
No104 春  04/02/28
No103 春 眠 04/02/21
No102 視 力 04/02/14
No101 島津公入城400年 04/02/8

No110 あ き ら め  04/05/15

気が緩むと病気を呼び込むのでしょうか
風邪をひいたようです
体が、重いです
何をするにも気力がわきません
ひょうきんたろうさんからの励ましも役に立ちません
今回は、整理の遅れているデーターをそのまま載せました
地図から変更しようと考えていました
しかし思うように進みません
何事もあきらめがかんじんとか
未整理のまま案内図の左隅に載せました
少しずつ整理していこうと思います

寝ころびて
重きからだを
休めれば
時は過ぎ行く
春から夏へ

No109 緩 み  04/05/5

緩む時は、
とここんゆるむものようです
佐土原の郡元さんの話題
西都原博物館の完成と天皇両陛下の視察
佐土原高野球部の活躍
久しぶりにテレビもゆっくり見ました
宮崎県人もいろんなところで頑張っているのですね
私の身の回りでいろんな事が起こっているようです
しかし私の感性は、麻痺しているようです
廻りを吹く風は、私を動かすことが、できないようです
いつもと代わらず仕事をして寝ています
仕事が好きなわけではありません
何もしないのが苦痛な性格のようです
なにかしら、こざこざを見つけては、時間を消費しています
木をけずってみたり
機械を分解してみたり
むだなこととは、わかっていても、やめられません
気が緩むと、子供にもどるのでしょうか
子供ぽいことに興味をひかれるようです
前回の更新から1月ほどになります
まだ、気力がわいてきません
その間ひょうきんたろさんには、頑張ってもらったようです
掲示板だけで立派な歴史ができるなと思ったりしました
ありがとうございます
さすがに1ヶ月は、間が、あきすぎのようです
集めた資料も時期はずれ気味です
そうはいっても載せる記事がありません
続けることが、大事と恥を忍んで載せました
しばらくは、良い間隔を探して行こうと思っています

No108 障  壁  04/04/7

杉安線跡地の十文字付近の舗装が、完了しました
まだ、開通は、していません
でも、この道を横断する道は、もう使われています
むしろ開通した道を通ることよりも役立っています
思いました
たった高さ1メータあまりの線路の堤でした
これが、無くなってすごく便利になったと感じます
鉄道は、縦方向の産業の発展に寄与したかもしてません
でも、横方向の発展の妨げになっていたかもしれません
もし線路が、無ければ
佐土原は、一っ瀬川の堤防まで発展したのではないでしょか
1体に使えば、かなりの広さがあります
現状は、線路の山手側に人家が集まっています
今からでも遅くは、無いと思います
誰か陳情する人は、いないものでしょうか
ちょっと、思いつきで書いてみました
でも、考えれば、考えるほど、邪魔に思えます
跡地は、今では、縦の流通の役目もしていません
万里の長城よろしく地元の人々を苦しめているだけです
杉安線の跡地がなくなるのは、寂しい気もします
それでも、佐土原は、発展しなければ・・・・と思います
次の世代のために・・・

春田バイパスが開通しました
旧219号から見上げるような高さで脇を走っています
山を削った土があまったのかもしれません
そしてこの道路も、左右の地域を分けるのでしょうか
かって杉安線が、したように

No107 休息  04/03/13

機械の調子が、悪くなりました
体調もわるかったです
気力も減退ぎみでした
個人的な悩み事もありました
機械を直そうのいう気が起こりません
すこし先を急ぎすぎたのでしょうか
ここにきて、どっと疲れを感じます
だれも、何も期待していません
無理をして普通の生活の妨げになっては、意味がありません
ページを見なおしても荒削りなところだけ目立ちます
こんなものを残して何になるのかと・・・
内なる声が、叫びます
しばらく休息することにしました
前回休んでとても楽でした
無理をしていたのだなと思いました
それで、しばらく更新間隔を長くしたいと思います
更新量もセーブしようとおもいます
代わりに掲示板が、活気づいてもらえればとおもいます
ひょうきんたろうさん達、よろしくお願いしますね

No106 梅ちらし  04/03/13

予報では、今年の桜の開花は早いそうです
確かにもう、梅の花が咲いています
ところが、ここに来て陽気が変わりました
寒い日が続いています
昨日は、氷点下まで下がりました
真冬並です
昔の人は、寒さが振返すことを知っているようです
「梅チラシ」もしくは、「梅の花チラシ」と呼ぶのだそうです
先日「もう梅が咲いてあったかいね」と話したところ
「又、すぐに寒くなるよ」と教えてくれました
半信半疑でしたが本当に寒くなりました
経験とはすごいですね
自然と離れた生活の私ではとても気づきません
もう少し自然に近づくようにしないといけませんね
それにしても美しい言葉だと思いませんか
「梅の花散らし」・・・
残しておきたい言葉だと思いませんか

No105 下準備  04/03/6

建築等を設計する時下書きをします
エスキスと呼ばれます
これが、重要な作業だと教えられたものです
何でもそうだと思います
計画を立てようとするとき、ざっと下書きをしたものです
ところが、コンピューターが出てきてから少し変わってきたように思います
文章でも製図でもいきなり書き始めたりします
その方が、臨場感があってよかったりします
簡単に変更できます
メモ代わりに機械をつかって、それが清書になってしまいます
そんな若い人のやり方を見ていると驚かされるばかりです
鉛筆になれた私たちの世代には、むずかしいです
それでも、時間に追われて物まねを始めています
このホームページ自体が、ぶっつけ本番です
毎日少しずつ書けばもう少しよい文章になると思います
・・・でも現実は、きびしいです・・・
ページの構造を少しずつ変更しています
案内図切り替え準備も進めています
早くしないと未記載のデーターが山積みになっています
これらも、下準備でしょうか
今は、内容よりも下地の準備の時期なのかもしれません
良い下地が無いと良い絵は、かけませんからね

No104 春  04/02/28

時は、春
また、めぐってきました
梅が、花をつけ始めました
去年の暮れに植えたフダン草が芽を出しました
小さな小さな芽でした
いつまでも芽が、出ないのであきらめていました
少し暖かくなっていっせいに顔を出したようです
こんなにも命が息吹始めています
でも、私は、心も体も眠ったままのようです
とうとう大幅に期限を越えてしまいました
・・・・残念・・・
悔しいですが、バイオリズムが落ち込んでいるようです

とにかくもと、少しアップしました
書きたいことは、あります
杉安線跡の道路整備が、ほとんど完成していること
島津公400年記念パレードのこと
などなど・・・
気が進まない時は、事故の元
又の機会に譲るのが、無難でしょうか

No103 春 眠 04/02/21

宮崎は、春なのでしょうか
比較的暖かい日が続いています
今日は、春一番のような強い風が吹きました
黄砂を運んできて砂っぽい一日でした
「春眠暁を覚えず」といいます
とにかく起こされないと1日中寝ていそうです
先日の祭日は、用事がありませんでした
起きたのは、午後3時でした
まだ、寝ていたかったのです
でも、ちょっとした用事を思い出しました
これは、なぜなのでしょう
皆、同じなのでしょうか
それとも私が特別なのでしょうか
気に掛かるところです
単に気が緩んでいるのでしようか
寝ているのは、本当に幸せな気分です
年に何度もあることは、ありません
これも自然の摂理なのかもしれません
などと、かってに納得したり、
自己嫌悪のこのごろです

No102 視 力 04/02/14

皆さんは、どうですか
最近視力が落ちてきたようです
少し見えにくくなっても、一晩ゆっくり眠ると回復したものでした
なかなか回復しなくなりました
視力が落ちると辞書の小さな字が読めなくなります
文字の小さな本も長くは読めなくなりました
途中で文字がかすんできます
今、「レ・ミゼラブル」を読んでいます
(今ごろこんな本を読むのは恥ずかしいですね)
虫眼鏡の助けを借りなければ読めません
これは、コンピューターを使うようになったせいでしょうか
それとも単に年を取ってきたということでしょうか
どちらにしても不便なことは、同じです
今日は、これくらいにして早く寝る方がよさそうです
皆さんも無理をしないように頑張りましょうね

No101 島津公入城400年 04/02/8

島津公入城400年記念の企画が色々されているようです
島津以久が伊東氏の佐土原城に入り佐土原藩を始めたそうです
それが400年前のことだったそうです
講演会等もあったようです
知らずに参加しませんでした
2月には、以久が通った道を歩く企画が、あるそうです
1週間程かけて歩くそうです
残念ながら平日です
参加できそうにありません
詳しくは、佐土原町のHPにそろそろ出ることでしょう
島津体制が、どんなものだったかは知りません
鹿児島的文化の影響を与えたのは、確かでしょう
伊東氏は、飫肥藩を治めることになったそうです
一度観光でいきました
佐土原とは、かなり雰囲気が違っているように思いました
歴史が別方向に動いていたらと思います
私たちの人生も違ったものになったかもしれませんね