歩み2
No29 雲 02/09/16
No28 金丸用水 02/09/08
No27 久しぶりにネットで情報収集 02/09/01
No26 ウイルスとコンピュターの修理 02/08/25
No25 現王島の日吉神社 02/08/18
No24 稲刈が、終わった 02/08/11
No23 稲刈が、始まった 02/08/04
No22 喧嘩ダンジリ 02/07/28
No21 弁 天 山 02/07/20
行く雲を
日なが見つめて
暮らしたし
秋の堤の
川風の中
どうしたの
あわて急いで
あらし雲
流れ流れて
何を見たいの
今日は、一ッ瀬川のにごりの原因を調査に杉安までいってきました
そのつもりは、なかったのです
いつも以上に川が、にごっているので川を堤防沿いに上ってみました
いろんな発見をしました
でも、すこし疲れました
報告は、次の機会にさせてください
ニュース欄に少し写真をのせました
佐土原の風景や、町並みは、いつ頃から今のようだったと思いますか
今の田の広がる風景は、当然のように昔からあったと錯覚していました
実は、つい最近まで、桑や麦の畑が、主体だったそうです
つい最近というのは、戦後はもちろんですが、昭和30年代後半です
それまでは、一ッ瀬川の水を稲作に利用できなかったのです
だから、池を持つ地域だけが、米をつくれていたようです
田島や、巨田は、池を持っていたために古くから米をつくっていたようです
最初の地頭の伊東氏が、田島に本拠を構えたのもうなづけます
又、巨田神社は、古い歴史があるそうです
代代の佐土原の支配者は、農政に熱心ではなかったのでしょう
商業と、漁業に力を入れたのかもしれません
戦後に堤防と金丸用水が、完成してから、今の姿があるようなのです
本当に激動の中を私達は、育ったのですね
しかし金丸と言う人が、どんな人なのか全然わかりません
だれか知っている人は、いないでしょうか
できるまでには、いろいろな苦労もあったとおもいます
後から考えると歴史の分岐点とは、こう言ったところを言うのではないでしようか
夢が、変化が、なくなったと最近よく耳にします
しかし知らないところで、大きな変化が起きているのではないでしょうか
どう思いますか。少し怖いですね
よそのHPは、本当によくできています
よくこれだけの書き込みをするものだと感心します
私は、あまり他のHPをたずねることは、ありません
自己嫌悪に陥ってしまうものですから・・・
比べると恥ずかしくなってしまいます
でも、これ以上は、時間的にも無理かな?
と自分を慰めています
長くやれば、少しは、進歩するでしょうか?
ところで、今回は、調べものが、あったので、アタックしました
佐土原の年表を作ろうとしています
本当にHPは情報の宝庫ですね
最初は、地図を作ろうとおもいました
しかし今の自分のグラフィック能力では、追いつかないようです
とりあえず、やれるところから
いつもの癖で、易きについたわけです
「ひょうきぼ」さんの影響で、少し歴史に興味を持ち始めました
今は、大きな流れを捕まえようとしています
年配の人に話を聞いています
そして、本当に変わったのは、この数十年の間だったことに驚いています
大きなポイントは、日向大橋、金丸用水、の完成だったようです
さらに驚くのは、杉安線の開通です
日豊線に先立つこと20年、一次世界大戦前なのですね
今の福島に港があったそうです
九州一のケヤキの出荷をほこったそうです
そのためでしょうか
いろんな人の話を聞いて少しずつまとめたいとおもいます
時々、年表の方ものぞいてください
左の欄の下のほうにリンクをはってあります
感染してしまいました
何にだと思いますか
夏風邪ではありません
私のコンピューターさんが、ウイルスに感染したようなのです
フリーのワクチンソフトをインストールしようとしました
でもだめでした
感染したあとでは、ワクチンをうてなくなるのですね
ウイルスもかしこい!!!
しかたがありません
泣く泣くCドライブを全部消しました
ついでに長年の夢だったマザーボードの取替えを実行しました
そして、なには、ともあれワクチンを入れました
ウイルスもかなり抵抗しました
敵ながら「あっぱれ!!!」
と言う訳で今は、いろんな設定のやり直しの最中です
本当にめんどうですね
データーもだいぶなくしてしまいました
悲しい・・・・。皆さんもワクチンをうっといてくださいね
先日お話した現王島へ行ってきました
本当に小さな地域です
元の西佐土原駅の有ったところから北西に少し進みました
一ッ瀬川のすぐそばに日吉神社はありました
最初公民館かと思いました
神武天皇の産着が、埋められたという場所はその建物の脇でした
ひっそりと石が置かれていました
人に知られるのを恐れているかのようでした
さらに驚きました
公民館のごとき建物の中に神社が、丸ごと収納されていたのです
多分雨風を防ぐためでしょう
でも、もしかすると迫害を受けたことが有ったのかもしれません
人目をしのぶ姿かもと思いました
そうでなければもっと有名になっても良い場所では、ないでしょうか
考えれば考えるほど不思議です
前室には、源氏物語に出てくるような板絵が飾られていました
知識があればこれも謎解きの材料になるのにと残念でした
忙しい1週間だった
投稿作品もたまっています
すみません
早くいつものペースに戻りたいものです
ところで、皆さんはどの程度米の作り方を知っていますか
恥ずかしながら農家そだちの自分もあまり知りませんでした
田植えの体験とか稲刈りの体験をする場面を良くみます
でももちろんそれだけでお米が食べられるわけでは、ありません
田植えをするためにずいぶん前から準備します
そして稲を刈ってからも多くの作業がまっているのです
次回は、そんな話をしてみたいと思います
今回は、頭を整理する時間が、ありませんでした
稲刈は、偶然の産物だ
人、機械、天候
これらが、一致して初めて実行できる
今年は、2度も台風が、宮崎に近づいた
幸い直撃はなかった
しかしそれが、近づくたびに気をもんだ
台風が、くるか、こないかで収入が、全く違ってくるらしい
一年の苦労が水泡に帰す場合も多々あったそうだ
天気の良い日が、日曜日に当たるのが、一番有りがたい
人手をかけやすい
天気が、良いだけでは、だめだ
そのとき機械が、あいていなければどうにもならない
うまい人は、長年の感で段取りをつけている
実際にやって見ないとわからないだろう
私のように所々を手伝ってる部外者には、その手際がわからない
刈始めると見る見るうちに終わっていく
機械の力には、驚かされる
昔の記憶と比べると夢のようだ
一生の内に何回、稲の収穫を経験できるのだろうか
どれ、今年も少し頑張ってみようか
愛宕祭りの喧嘩ダンジリを見てきました
どちらが勝ったと重いますか
見に行くのは、数十年ぶりです
西佐土原駅跡でありました
広くなった広場で見物人も沢山来ていました
千人ぐらいは、いたと思います
子供のころは狭くて近くで見物することが、できませんでした
でも今は特等席で間近でみれます
担ぐ人や神輿の上でうちわを振る人の表情まで見れました
近くで見ると迫力がありました
色々と駆け引きもあるようでした
しばしばダンジリ上で作戦を打合せしているようでした
今年は、1回の水入りが、有りました
長く思えました
実際は、40分程度で決着がつきました
それにしても良かったです
伝統が、続いているのをみて嬉しくなりました
何時までも続いてほしいですね
弁天山をおぼえていますか
名前を聞いたことは、有りました
でもどこにあるか知りませんでした
小学校のすぐ西側にあったのですね
佐土原神社から登ったところが、それです
大正生まれの人には、なじみの深い山のようです
時を知らせる大切な山だったからです
何時頃まで続いていたのかわかりません
今日登ってきました
今は、放送の中継地として利用されているようです
弁天さまも祭ってありました
大きな桜の木が、4本とソテツの木が植えてありました
こう言うのを7曲がり坂といううのだろう思いました
毎日大変だっただろうと思いながらジグザクに階段を上りました
登りきってみると時鐘の場所に選ばれたわけがわかりました
眼下に、佐土原を広く見渡すことができました
天気が良かったので一ッ瀬大橋、日向大橋が、見えました
一度皆さんも登って見ませんか
ニュース欄に少し掲載しました