歩み 5
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目次
No59 宝塔山 03/4/16
No58 春 03/4/9
No57 変革 03/4/1
No56 ホームページと本 03/3/26
No55 都会の田舎者 03/3/18
No54 郡と市町村 03/3/11
No53 温泉と銭湯 03/3/5
No52 合併前の町役場 03/2/23
No51 合併2 03/2/19
No50 合併 03/2/12
宝塔山に登ってきた
校歌に歌われているので名前は、覚えているでしょう
確か・・・
宝塔山の丘のほとり
佐土原小は歴史の中に
さんぜんと生きている
・・・だったと思います
もう全部の歌詞は、覚えていないようです
完全に覚えている人がいますか
いたら教えてください
子供のころに宝塔山と意識して登った記憶は、ありません
知らないうちに登っていたかもしれませんが・・
以前来たときもそうでした
今回も工事中でした
立入り禁止の看板が出ていて山頂までのぼれません
でも、今回は、少しズルをしました
少し遠回りをして道のないところを登りました
初めて山頂までいきました
結構見晴らしが良かったです
海抜62メートルあるのですね
水準杭が打たれて在りました
600年前ぐらいから宝塔山とよばれてきたそうです
昭和31年に公園になったそうです
古いですね
今は、整備中で綺麗な山道が作られつつあります
自由に往来できる日が楽しみです
田の水面
写る我が影
日の光
ゆるる波間に
そよぐ春風
用水路
あぜに腰掛け
洗う足
冷たき水に
桜一枚
田植えが、終わりました
今年は、良い天気に恵まれた
例年よりも楽に田植えができました
でも、その後は、雨が、続いています
桜が、5分咲きのころから降り始めた
散ってしまわなければ良いのですが・・・
いま、佐土原は、変革の時期かもしれません
休みを利用して都於都城跡に行ってきました
都於都城跡については、ニュース欄に載せました
印象は、
佐土原城跡よりも整備されている
戦国時代以前の城で戦争よりも生活に重きをおいている
と感じました
ところで、途中で、色んな道をとおりました
犬も歩けば棒にあたるです
いま、色んなところで、道路工事をしています
年度末だからもあるでしょうが・・・
橋が、かかり、道路が拡張されています
以前に佐土原の100年前の地図と今の地図を比べました
今の状況を考えると、変化は、少なかった方だと思い知らされます
私が、気づいたところでは
春田バイパスの延長と西都インターチェンジへの接続
それに伴い濁橋の脇に春田10号橋を増設
現王のそばに橋がかかり弁天山の下の219号線に接続
日向大橋の拡張
旧杉安線路あとの車道化
堤防の上を整備して車で219号線に接続
東九州道路が、できるついでに整備されているのでしょうか
他にもあると思います
道が、できると環境や景色が、ガラリと変わってしまいます
いま、書き留めなければ、すべてなくなってしまいそうです
できるだけ写真等を撮っておきたいと思います
皆さんも、時間を作って立ち寄ってみては、どうでしょうか
私は、ホームページ(HP)を読むのが、下手なようだ
左下隅にリンクが増えたのに気づきましたか
何週間か前から記載しました
かってに載せてよいものかわかりませんが、・・・
これは、私が、見てみたいなと思ったHPです
でも、実際は、ほんのさわりしか見ていません
HPは、リンクを組んであります
クリックするだけで、次から次にページを移動できます
とても、便利な気がします
本は、ある程度順番が決まっています
見たいページは、インデックス等で、調べるしかありません
本も、HPも、ページでできています
ところが、私の場合HPを読んでいるうちに迷子になってしまいます
同じページに何度も足を運びます
もう一度見たいと思ったページにいきつけません
そのうちに嫌気が、さしてきます
皆さんは、どうですか
若い人は、違うのかもしれません
慣れが、必要なのでしょうか
通信スピードが、上がれば変わるかもしれません
どちらにせよ、現段階では、私は、昔の人のようです
本の方が、楽なのです
膨大な情報が、あるのは、わかる気がします
でも、HPの不連続に続くページには、ほとんどノイローゼになりそうです
HPも本もその作者の情報量には、感心します
その情報を分けてもらえるのですから感謝しなければ行けませんよね
こちらも少しは、努力が必要でしょうか
なにかこつがあれば教えてもらいたいのもです
今回は、埒のない文章を載せました.すみません
本当に少しノイローゼかもしれませんね
他のHPへの劣等感からかもしれませんが・・・
自分を田舎者と思ったことは在りますか
久しぶりに飛行機に乗りました
福岡へ、日帰りでした
今回は、天神です
たぶん、福岡の中心部になるのだと思う
都会の風にあたるのも何年ぶりだろう
都会の良いところは、情報が、豊かなことだ
ビル内に国際広場なるものが、あった
自由にインターネットや洋書やビデオなどが、閲覧できる
留学生のために造られたスペースなのかもしれない
宮崎には、この種のものは、まだないとおもう
県立図書館には、洋書も置いてあるが、数が、知れている
本といえば、都会の書店の本の数は、うらやましい
宮崎では、まだ専門書が、なかなか手に入らない
私も、田舎者になってしまった
人は、ないものを、ほしがるものなのかも知れない
都会の物を、ほしがるのは、田舎者になった証拠だろう
春風の
ビルの合間に
たたずみて
過ぎたる日々の
若きを思う
宮崎では、田起こしが始まっている
大方は、機械でやるが、細かいところは、まだ手作業だ
備中鍬なるものを使って隅を耕す
溝の整備もしなければいけない
佐土原は、町です
都於郡も町です
私は、間違った覚え方をしていました
佐土原町は、宮崎郡にあります
都於郡町は、西都市にあります
ですから、市と郡は、同じレベルにあると思っていました
皆さんは、どうですか
実は、違うのですね
市と郡の中にある町や村が、同レベルなのですね
なぜかと言いますと市町村が、議会をもつからです
郡や市の中の町には、議員が、いないのですね
あたりまえだと言うひとも多いでしょう
でも、政治に疎い私には、驚きでした
たとえば合併が、行われて宮崎市となるとします
佐土原町長選挙がなくなるわけです
今は、宮崎市と佐土原町は、兄弟のようなものだと思います
それが、親子のようなものになるのということだと思います
これに気づいたのは、地図を見つけたからです
マップのページに載せました
ここに佐土原が、出ています
でも都於郡町が、出ていません
なぜだろうと思いました
数年後佐土原の名前は、この種の地図に残っているでしょうか
年に何回くらい温泉にいきますか
久ぶりに時間が、あきました
最近、仕事が、たてこんでいました
疲労感も蓄積しているようでした
気分転換を図ることにしました
それで、atu君の紹介のあった温泉にいってみることにした
近場のサンルピナスにしました
石が、良かった
普通は、黒っぽい石が、多いと思う
ここは、トルコ石のような色をした石を乱張りにしてありました
溝が、コテで仕上げてなかったのも返って趣があった
その他変わっているなと思ったのは
室内の洗い場を狭くして湯舟を大きく、深くしている
その分、外部の露天風呂脇に洗い場を設けている
サウナ室にガラスをはめ、外部に置かれたテレビを見れるようにしてある
などです
設備は、多分普通なのだと思います
打ち湯、サウナ、水風呂、泡湯等がありました
ところで、銭湯と温泉の違いは、なんでしょう
銭湯は、毎日行くところ、温泉は、たまに行くところ
そんなイメージをもっていました
ここは、ちょうどその中間の感じでした
サウナの中では、テレビをみながら世間話が、弾みます
時々、あちこちで、挨拶する声が聞こえます
10号線沿いですし、住宅地もすぐ近くにあります
前回行った高鍋温泉と比べると、常連さんが多いように感じました
3星のサウナにも、入りました
残念ながら、時間帯が悪かったようです
次から次に人が、入ってきてゆっくり汗をかけませんでした
その後、水風呂にも挑戦しました
でも、初めての私には、冷たすぎたようです
腰までで、断念しました
なにかコツがあるのかもしれませんね
色々試してみて1時間ほどいました
途中、春雨が、降ってきて、湯面に波紋を造りました
それを露天風呂の中でみました
高千穂の雪の露天風呂とまでは、いきません
でも、これも、なかなかよかったです
年に1度くらいは、温泉もいいなと思いました
三町合併(1955年)前の佐土原町役場が、どこにあったか知っていますか
聞いてみるとなるほどと思います
でも、言われなければとても気づかないでしょう
何気なく聞いてみました
実は、佐土原小の前の公民館があるところに在ったそうです
今は、鉄筋コンクリート造になっています
城下町のほぼ中央ですから場所的には、適当ですよね
ここには、伊東氏の時代(1552年)に金柏寺が、建てられていたそうです
金閣寺を真似て造ったといわれています
もちろん今は何も残っていないようです
ただ、昔の道路の交差点に置かれたという石塚がおかれています
合併が、決まったころの状況も、聞いてみました
ほぼ、本決まりにになってから、了解を取る形で説明会が開かれたそうです
だから、普通の人は、反対も賛成もなかったようです
広瀬に役場が移ってからは、随分と不便になったそうです
気分的にも面白くなかったらしくかなり不平の声があがったそうです
もし、今度合併があるとするとどんな手順を踏むのでしょう
やはり、昔と同じで、役人の方で、決めてしまうのでしょうか
その方が決めやすいのでしょうね
実際のところ、どれが最上の道なのか私自身、全くわかりません
でも、何も選択せずにふるさとが変わっていくのを見ているだけなのでしょうか
すこし、寂しい気もします
もっと、情報があればよいと思うのですが
皆さんは、どう思いますか
気になり始めました
佐土原の生い立ちが、です
いつ頃からこのように呼ばれていたのでしょう
知っていますか
百科事典などで調べてみました
むずかしかったし、時間もあまりさけませんでした
意外と役に立ったのは、子供向けの本でした
わかりやすくまとめてあり助かりました
間違っているかもしれませんが、理解した範囲で紹介します
佐土原の地名が、文献の登場するのは、鎌倉時代だそうです
国富壮という荘園が、あったそうです
今の宮崎市、佐土原、清武、田野、西都、新富を占めていました
国富壮から宮崎市と西都が、独立し、新富町が児湯郡に取り込まれ
残りが、宮崎郡となったと考えるとわかりやすいですね
八条院領で、その記録(1176年)に佐土原の名がでてくるそうです
それから、途切れることなく現在まで続いているわけです
もちろん、それ以前からあったのでしょう
でも、便宜上これから計算すると今年は、887年目ということになります
簡単に千年前後ということでしょうか
これを、長いととるか、短いと取るかは、ひとそれぞれでしょう
それでも、ぽいと捨ててしまえるほど軽くはないとおもいます
どう思いますか
最近の歴史を追って見ました
1871/7 高鍋県、延岡県、佐土原県、飫肥県、人吉県成立
1871/11 美々津県、都城県 に合併
1873/1 宮崎県 となる
1876/8 鹿児島 に合併される
1877 西南役 で戦場となる
1883/5 宮崎県 に分離独立
1955 佐土原と那珂 合併
1956 佐土原と広瀬 合併
いかがですか
どのくらい知っていましたか
恥ずかしながらほとんど知りませんでした
ほとんど私たちの生まれる前の話ですからね
佐土原県だった時もあります
意外と長く鹿児島県でした
今の佐土原は、46歳だったのですね
まだまだ勉強しないといけませんね
頑張りましょう
ところで、今回で、この扉のページを残し始めて51週目になりました
これを機に検索サイトに登録することにしました
3つほど応募しました。
採用されるかどうかわかるまで、2,3週間かかるそうです
1つでも採用されると嬉しいのですが
そうすれば、もう少し参加者を得ることが、できるかもしれません
楽しみなような、不安のような気持ちです
しかし成るようにしかなりません
気分を入れ替えてまた、1歩ずつ前進しましょう
掲示板を読みましたか
合併の文字が、出ていました
少しは、耳にしていたことです
でも、あまり、実感していませんでした
かえって県外の人の方が、気をつけているのでしょうか???
簡単に合併といいます
でも、実行となると色々問題があるようです
3町合併を経験した年配者は、町役場をどこに置くかで大変もめたことを話てくれました
こんな、基本的なことさえ決めるのが、むずかしいのです
1,2年で結論がでるのでしょうか
インターネットで調べてみました
合併の話題が多いのにびっくりしました
きっかけは、国の政策転換のようです
経費を抑えるために、企業は、支店合併をします
それを国レベルでやろうとしているのだそうです
そして、期限以内に実行できたところには、報奨金がでるそうです
何か、希望退職者を募るのに似ていますね
財源がカットされる以上地方としても経費削減策を考える必要があるわけです
いま、佐土原には、4つの選択肢があるようです
1. 新富町 と合併
2. 西都市、 新富町、 西米良村と合併
3. 宮崎市 と合併
4. いずれとも 合併しない
いずれの可能性も十分に在るそうです
詳しくはインターネット等で調べられます
皆さんは、どれに賛成ですか
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