歩み No 8
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目次
No89 宮崎テクノフェア 03/11/15
No88 柿ちぎり 03/11/7
No87 卒業アルバムの詩 03/11/1
No86 油断 03/10/24
No85 第一関門突破 03/10/19
No84 発見 03/10/11
No83 文章 03/10/4
No82 那珂小と那珂中 03/9/26
No81 佐中の変遷 03/9/19
No80 中学校校歌 03/9/13
本文
やっと時間を作ることができました
シーガイアのコンベンションホールで開催されました
最終日でしたが、行ってきました
宮崎テクノフェアです
何回目かですが、今回が、もっとも盛大だったように思います
内容も3フロアーを使っての盛りだくさんでした
技術の進歩には目を見張ります
以前から、有ったものも多かったです
しかし、同じ物とは、思えないほどスピードや画質が、進歩していました
すぐにでも、実生活に利用可能な段階に来ているようです
都会では、これが、当たりまえなのでしょうか
自分の時代遅れをつくづく感じました
中でも面白いと思ったのは、学生コーナーとユビキタスのコーナーです
宮崎の学生たちのコーナーが有り、自由な発想で機械を利用していました
若い人のことを、とやかく言いますが、この方面は、すごいなと思いました
ユビキタスとは、初めて耳にしました
ラテン語で「いたるところにある」という意味らしいです
いたるところに電子タグと呼ばれる小さなのものを貼るそうです
それをコンピューターに読ませて管理させようというものらしいです
発想は、古くからありそうです
でも大きな情報量に対応できる通信規則のIP6が制定されたそうです
本格的な実用化に向かっているわけです
これは、本当に人の生活を根本から変えてしまうかもしれないと思いました
日本人が開発したTRONという言語が活躍しているようです
すごいですね
私たちも遅れないようにしたいですね
覚えていますか
今年は、柿の当たり年のようです
例年なら鳥に食べられなくなってしまいます
鳥も食べきれなかったのでしょう
人間様にも食べる分が、残っていました
子供のころどうやって採っていましたか
柿の木は、折れやすくて登れません
長い竹の先を割って、小枝を挟んだ道具で採っていませんでしたか
何十年かぶりに我が家の柿の実を採ってみました
もう、コツを忘れていました
実の付いた小枝を挟んで折ろうとするのですが・・・・
何個も落としてしまいました
こんなことも忘れるのですね
ちょと苦労しましたが、楽しかったです
味の方は、ばっちりでした
見かけは、すこしわるかったです
でも、とってもあまかったです
来年も沢山できるように・・・
少し手入れをしてあげようと思っています
中学生時代に何か残してきたものがありますか
記念になるもので、永く残るものを
佐中の後輩で、詩を残した世代がいたようです
「卒業アルバム」というのだそうです
卒業式の時に歌われたそうです
先生、生徒の言葉を集めそれを一つの詩にしたものだそうです
自分の中学生時代を思うと、今の子はすごいなと思います
私は自分の考えなど無かったし、実行した記憶もありません
なかなか、良い詩だと思いました
50周年誌に出ていましたので掲載します
うららかな春の光に包まれて
おおきめの制服に身を包んだ私たちがいた
新しい道はどこまでも果てしなく続き
数々の出会いとともに
卒業アルバムが始まる
古ぼけた校舎の窓から見下ろすグランドは
共に学び励ましあった日々を見守ってくれていた
季節を彩る自然に抱かれて
ボールを追いかけ汗した日々は静かに過ぎてゆく
時は流れ 私たちが明日の光見つめるとき
かわらずに残る真実がきっとある
友よ 青春の道が険しくとも
君の夢を見つめて ひたすらに生きてゆけ
黄金の稲穂育む豊かな大地のように
厳しかった父さん 優しかった母さん
何かにいらだち悩んだ毎日を
じっと見守ってくれた友達
愛してくれた先生
時は流れ 私たちがいつか実りの季節迎えるとき
少しでも確かな実りがきっとある
友よ 歴史の荒れ狂ううねりの中で
いつまでも自分を見失わず まっすぐに生きてゆけ
そしてまた私たちは新しい春を迎える
着なれた制服を脱いで
それぞれの夢を見つめながら
数々の別れとともに
卒業アルバムのページを閉じる
油断するな
安きにおきて怪我するものなり
・・・でしたか??・・・・
何かで聞いた記憶があります
危ないところでは、怪我をしないものだ
ふと気が緩むところで怪我をするものだ
といった意味だったと思います
本当ですね
とうとう、土曜日午前0時を越えてしまいました
残念
2000台になって気が緩んだのでしょうか
ちょっと、用事ができてしまいました
前もって準備をしておけばよかったのです
ぎりぎりまで、仕事をしないというのは、悪い癖です
後悔先に立たず
今回も、すこしになってしまいました
すみません。また、明日から頑張ろうと思います
27.4Mバイト
何だと思いますか
3000の大台を越えました
650日余りが、過ぎたことになります
ふと思いついてこのページの大きさを調べてみました
それが、この大きさです
大きいような小さいような
フロッピー約20枚分です
どう思いますか
単純に計算すると、目標達成時には、150M程度でしょうか
CDには、640M入りますから4分の1程度ですね
無駄なデーターなら、大きすぎます
今までの苦労を考えると・・・・???
ともあれ、ヤッターと一人で、乾杯しています
残念なのは、最近投稿が、無いことです
続けられるか、不安になっています
ひとりよがりになっている気がします
どんなテーマでも取り扱っていこうと思っています
発見は、大きな喜びの一つではないでしょうか
こんな面ももっているのか・・・
こんな経験をしてきているのか・・・
ここは、こんなに美しく見えることがあるのか・・・
と新鮮な発見をすることがありませんか
そんな発見の日は、うきうきしています
何か得したような、賢くなったような気がして
50年記念誌で見つけました
何かの本で、読んだことがありました
もう、なくなっていると思っていました
意外なところで、発見するものですね
・・いつもその横で学校の始業ベルを聞いたとありました
16世紀の建立と聞いています
500年近く経っているのですね
私の子供のころにも有ったでしょうが全く知りませんでした
佐小の東がわ、佐土原城外堀跡の小川のそばにありました
残念ながら、小さな釈迦堂になっていました
元の金拍寺は、西南の役の時焼失したそうです
金閣寺を真似たそうです
美しい建物だったかもしれませんね
焼失を免れた本尊が2体飾って有りました
格子戸を通して覗くことができました
歴史的にみて重要な文化財だと思います
でも、ここを見た人は、誰もそんなことは、想像もしないでしょう
時々思います
もう少し宣伝をしても良いのではないでしょうか
せめて、地元の人間が誇りに思えるように
忘れてしまわないように
少し寂しく思いました
人の心を打つ文章は、実体験したものしか書けないのでしょうか
このページを続けて来ました
恥ずかしくなって来ました
やっと西中学校まで読み進みました
50周年記念誌です
紙面を飾る方々の文章に感心します
推敲された文章にも、その経験の豊富さ、人間性等々にも・・・
自分の無知さ、傲慢さを思い知らされたおもいです
こんなにも立派な先輩方を持っていたんだなとおもいました
このまま、筆を置こうかとも思いました
でも、間違いだらけの下手な文章でも
残す価値のあるものも中には有るかもしれません
又、誰かが、直してくれるかも知れませんしね
と、気を取り直して良い方に考えることにしました
現実逃避でしょうか・・・
ところで掲示板で問題になっている2年間の状況がわかりました
なんのことはありませんでした
読み進むうちに解答が書いてありました
なんと、
北校舎(旧佐中)、中央校舎(新佐中)、南校舎(那珂中)
と分かれて勉強していたそうです
考えてみれば当然ですね
少しずつ新校舎移っていったのでしょうね
当時の先生方は、自転車で時間ごとに移動していたとのことです
追手の坂道を思うと大変だっただろうと思います
本当に頭が下がります
そのほかにも色々発見したことがあります
しかしもう時間切れです
次回に回したいと思います
本当に知らないことばかりです・・・
那珂小と那珂中の航空写真が、ありました
こんな風に小学校と中学校が隣合わせだったのですね
中学生になるといっても校舎が隣に移るだけだったのでしょうか
今よりもずっと小中学の連帯が強かったでしょうね
旧佐中も、佐小と道を挟んで隣同士だったそうです
運動場の貸借りの話が文章にあります
行事も小中合同の場合も多かったのでしょう
私たちのころも地区行事は、
小中いっしょにしていたように思います
そんな時は、便利だったでしょうね
卒業生の文章にも、仲間意識が、いたるところにみえます
地域そのものだったのでしょうね
学び舎は
スイショウたるや
思い出の
光の中で
輝きわたる
佐中は、以前から今の場所に有ったと思っていませんでしたか
私は、ばくせんとそう思っていました
そうでは、ありませんでした
旧佐中は、佐小の南隣
那珂中も、那珂小の隣にあったそうです
合併して今の場所に移ったのだそうです
那珂中は、運動場が、残っているそうです
残念ながら旧佐中は完全に住宅地になっているとのことです
それぞれの卒業生方々の母校への思いは、
文章として切々として語られています
人は、失ってからその大事さに気づくのでしょうね
今も、佐中は、変わりつづけています
今度母校を振り返る時どんな姿を見せてくれるのでしょう
那珂中学校校歌
作詩・作曲者不祥
一、青雲に秀立っ霧島
学び舎の窓辺に遥か
常若の生命ひたすらに
真埋をたずね 新世に
かかげん明るき文化の燈火
理想は浄き吾等が母校
ニ、直土の匂香ぐはし
うちなびき萌ゆる青草
血湧き力満ちもろ共に
あぐる自由の声高く
讃えむ久遠の平和のあけぼの
希望は燃ゆるあ・那珂中学校
旧佐土原中学校校歌
作詩 桑 原 節 次
作曲 海老原 直
ー、永久に絶えせぬーっ瀬の
川の流れのよどみなく
進む文化の泉をば
くまぱやこれの学びやに
ニ、緑したたるあたご山
さし上る日のかがやきに
映ゆる平和のいしづえを
築かんこれの学びやに
三、郷の歴史に鑑あり
おのが姿を照らしみて
高き理想を目指しつつ
いそしまんかな朝夕に
佐土原中・西中学校校歌
作詩 川 野 正 ー
作曲 海老原 直
一、風薫る 緑の丘に
若竹の 命はあふれ
直き心 ここに育つ
友よいざ 今日も学ばん
ああ のびゆく学園
母校 佐土原
ニ、ふりそそぐ 光の丘に
若き日の 望みはもえて
強き力 ここに鍛う
もろともに 今日も磨かん
ああ かがやく学園
母校 佐土原
三、空青き 歴史の丘に
若人の ひとみは澄みて
清き夢を ここにはぐくむ
たずさえて 今日も進まん
あぁ 伝統の学園
母校 佐土原
どのくらい覚えていますか
今の佐中校歌と西中の校歌が同じなのですね
今の校章は、旧佐中と同じようです