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掲示板の引越しまで一時保存することにしました。
目次
114 人生の短さについて ひょうきんたろ - 2008/06/19 23:16 -
113 巨田池に行ってみました たろの弟 - 2008/03/04 12:15 -
112 つくしを見つけた ひょうきんたろ - 2008/02/26 00:01 -
111 がんばれつぼみたち ひょうきんたろ - 2008/02/23 13:06 -
110 佐土原人形 たろの弟 - 2008/01/05 22:30 -
109 鯨ようかん たろの弟 - 2007/12/19 16:47 -
108 宮崎弁が今年の流行語大賞 ひょうきんたろ - 2007/12/18 23:44 -
107 大好き冷汁 ひょうきんたろ - 2007/09/14 23:31 -
106 お盆明け ひょうきんたろ - 2007/08/20 22:59 -
105 砂漠化 ひょうきんたろ - 2007/08/11 00:34 -
104 コメントは歴史 ひょうきんたろ - 2007/07/16 23:05 -
103 感動しました ひょうきんたろ - 2007/06/03 23:45 -
102 農業の時代 ひょうきんたろ - 2007/03/17 00:30 -
101 インフルエンザ要注意 ひょうきんたろ - 2007/02/22 00:05 -
100 東国原知事誕生 ひょうきんたろ - 2007/01/24 00:16 -
99 祝 成人式 ひょうきんたろ - 2007/01/07 22:04 -
98 いのししの年発進 ひょうきんたろ - 2007/01/04 21:52 -
97 祝 大山志保選手 ひょうきんたろ - 2006/11/27 23:47 -
96 台風お見舞い申し上げます ひょうきんたろ - 2006/09/18 23:03 -
95 失礼いたしました ひょうきんたろ - 2006/09/05 23:34 -
94 9月が来ました ひょうきんたろ - 2006/09/03 23:06 -
93 夏休みが終わる! ひょうきんたろ - 2006/08/26 00:09 -
92 高校野球が終わった ひょうきんたろ - 2006/08/22 23:35 -
91 吉村昭さん逝去 ひょうきんたろ - 2006/08/04 23:43 -
90 お盆近づく ひょうきんたろ - 2006/08/01 23:15 -
89 へちまの夏 ひょうきんたろ - 2006/07/30 20:15 -
88 そろそろ梅雨明け? ひょうきんたろ - 2006/07/18 23:32 -
87 七夕 ひょうきんたろ - 2006/07/08 12:04 -
86 新年度近づく ひょうきんたろ - 2006/03/16 21:55 -
85 新しい佐土原 ひょういんたろ - 2006/01/14 23:48 -
84 お見舞い ひょうきんたろ - 2005/09/12 00:09 -
80 台風に気をつけましょう ひょうきんたろ - 2005/09/04 23:35 -
79 彼岸花 ひょうきんたろ - 2005/09/02 23:34 -
78 だんじりが懐かしいですね ひょうきんたろ - 2005/08/01 23:25 -
77 あじさいの季節 ひょうきんたろ - 2005/06/28 23:17 -
76 桜の花が今満開 ひょうきんたろ - 2005/04/09 00:07 -
75 桜の花の季節 ひょうきんたろ - 2005/03/22 22:38 -
74 宮崎で雪が降った! ひょうきんたろ - 2005/02/04 00:01 -
73 宮崎も雪がふりましたよ oti - 2005/02/02 18:40 -
72 もうすぐ節分、そして春が ひょうきんたろ - 2005/01/30 23:30 -
71 住民が幸せになれば ひょうきんたろ - 2004/12/27 23:50 -
70 なるほど oti - 2004/12/27 19:45 -
69 宮崎との合併 ひょうきんたろ - 2004/12/22 23:03 -
67 そうですか。 oti - 2004/12/15 20:13 -
66 佐土原が消える? ひょうきんたろ - 2004/12/15 00:20 -
62 元気をありがとう ひょうきんたろ - 2004/08/28 23:20 -
61 よかったですね oti - 2004/07/28 14:11 -
60 佐土原高校甲子園へ ひょうきんたろ - 2004/07/25 22:53 -
59 佐土原城跡が国の史跡に ひょうきんたろ - 2004/05/23 23:26 -
58 はらしく ひょうきんたろ - 2004/05/17 23:52 -
57 佐土原中学校合唱部金賞 ひょうきんたろ - 2004/05/05 20:53 -
56 よくやった!佐土原高校 ひょうきんたろ - 2004/04/29 20:18 -
55 決勝進出だ!佐土原 ひょうきんたろ - 2004/04/28 23:17 -
54 すごいぞ佐土原高校 ひょうきんたろ - 2004/04/27 23:22 -
53 佐土原高校がんばれ ひょうきんたろ - 2004/04/25 22:37 -
52 郡山さんたち解放おめでとう ひょうきんたろ - 2004/04/16 07:05 -
51 お疲れさまです ひょうきんたろ - 2004/03/24 23:54 -
50 星を見ると眼がよくなる? ひょうきんたろ - 2004/02/11 14:14 -
49 月のこと masa - 2004/02/01 06:51 -
48 月明かりの道 ひょうきんたろ - 2003/12/07 23:07 -
47 ふだん草を植えました ひょうきんたろ - 2003/11/30 23:24 -
46 鯉釣り大会 masa - 2003/11/14 06:49 -
45 安心しました ひょうきんたろ - 2003/10/20 23:11 -
44 記憶違いでは、ないようです oti - 2003/10/02 17:48 -
43 旧佐土原中学 ひょうきんたろ - 2003/09/19 00:23 -
42 良く覚えていますね oti - 2003/09/17 08:21 -
41 旧佐土原中学の思い出 ひょうきんたろ - 2003/09/15 21:16 -
40 ふだんそうのこと ひょうきんたろ - 2003/09/09 00:26 -
39 2000番目!ゲット。 masa - 2003/08/24 23:39 -
38 ふだん草の味噌汁 ひょうきんたろ - 2003/08/03 21:35 -
37 忘れていました oti - 2003/07/26 18:38 -
36 冷汁 masa - 2003/07/25 21:23 -
35 冷汁食べたいですね oti - 2003/06/28 19:48 -
34 冷汁の季節 ひょうきんたろ - 2003/06/23 23:36 -
32 台風の思い出 ひょうきんたろ - 2003/05/31 01:36 -
31 十ケ町村運動会応援歌 masa - 2003/05/19 18:56 -
30 十ケ町村運動会 masa&kazuのmasa - 2003/05/15 21:47 -
29 佐土原の図書館 ひょうきんたろ - 2003/05/14 00:49 -
28 ウガシラ! masa&kazuのmasa - 2003/05/10 22:07 -
27 十ケ町村運動会 masa&kazuのmasa - 2003/05/10 10:38 -
26 たった一つの田舎 ひょうきんたろ - 2003/04/29 23:48 -
25 わらび取り。 masa&kazuのmasa - 2003/04/28 23:52 -
24 懐かしいですね。 oti - 2003/03/31 19:31 -
23 宝塔山の桜 ひょうきんたろ - 2003/03/30 08:43 -
22 佐土原もテレビに出る? ひょうきんたろ - 2003/02/27 21:14 -
21 よみがえれ一ッ瀬川 ひょうきんたろ - 2003/02/15 21:26 -
20 歴史ある佐土原 ひょうきんたろ - 2003/02/11 20:09 -
19 ひょうきん太郎さん。同感です。 oti - 2003/02/03 18:36 -
18 佐土原と宮崎は合併する? ひょうきんたろ - 2003/02/01 22:04 -
17 新年ご挨拶 ひょうきんたろ - 2003/01/02 11:48 -
16 歌舞伎&浄瑠璃 kazu&masaのmzsa - 2002/12/24 08:57 -
15 浄瑠璃ですか oti - 2002/12/23 16:50 -
14 浄瑠璃のこと kazu&masaのmasa - 2002/12/21 20:41 -
12 はじめまして ももたろう - 2002/12/19 18:03 -
11 元気ですか。投稿者:足の速いホリ 2002/05/04 (土) 22:24
10 アドレスが,変わるよ oti - 2002/11/08 09:47
9 祝 掲示板の引越し ひょうきんたろ - 2002/10/05 23:44
8 はじめまして
7 元気ですか。
6 はじめまして。
5 同窓会のアドレス
4 熊本市内の佐土原町
3 さどわら弁の復習が必要か?
2 小中同窓会のページの見方
1 最近のカラオケ十八番
1a おとこどうしの二番
1b おめでとうございます。
1c 土の匂い
1d 掲示板開設おめでとうございます
本文
114 人生の短さについて ひょうきんたろ - 2008/06/19 23:16
梅雨に入りましたね。
空は暗く、蒸し暑く、きつい季節です。
さて、管理人さんが時間がないと言われていたので、
思い付いたことを書きます。
「人生の短さについて」という本からの一文を抜き書きします。
「われわれは短い時間を持っているのではなく、
実はその多くを浪費しているのである。」
これは紀元前五/四から紀元後六十五年に生きたセネカ、
という人の言葉です。
こんなことを書いている私も、
管理人さんの言葉もセネカの言葉もひと事ではなく、
考えさせられますね。(^^)
113 巨田池に行ってみました たろの弟 - 2008/03/04 12:15
佐土原の文化財を探していた頃の文章です。写真省略でいきます。悪しからず。巨田池の投げ網を探してみましたが、人脈がありませんでした。そのままです。
この池は400年前から越網という鴨猟が行われている池です。この越網猟はここと石川県の片野だけに残されているそうです。
渡り鳥として鴨たちはこの池に冬季にやってきます。日の入りに餌場へ、日の出に休憩する池に戻るために飛ぶのですが、この丘陵すれすれに飛ぶ鴨を、越網という網を構え鴨の鼻先に投げ捕らえる。これがこの猟です。
江戸期は藩の許可制だったそうです。現在もここは猟銃の禁止区域に指定されています。
写真のように昼間鴨たちは、のんびりと羽を休めています。10月15日から翌年の2月15日までは池の立ち入りが禁止されています。佐土原町と鴨越保存会の協力で、池の周囲の観察や鴨の調査等も持続されているようです。町の無形民俗文化財に指定されています。
調べているうちにある記憶が蘇えりました。知人がふとやって来て、母の目の前にこの猟で取った鴨を、そのままプレゼントとしてテーブルの上にでんと置いて帰りました。母は驚いて親戚に料理を頼んだのでした。
112 つくしを見つけた ひょうきんたろ - 2008/02/26 00:01
今年に入って、日曜に散歩を始めました。
2月24日の日曜日、大分川沿いに歩いていたら、
土手につくしが芽を出していました。
とても可愛いと思いました。
子どものころ、
つくしを味噌汁に入れて食べたことを思い出しました。
111 がんばれつぼみたち ひょうきんたろ - 2008/02/23 13:06
お無沙汰してました。
昨年の話しで恐縮ですが、昨年のレコード大賞を取った
曲の名前が「蕾」でした。
今年の春の甲子園大会の行進曲にも選ばれた蕾は、
何度聞いても良い曲だと感じます。
昨日はNHK総合テレビで、その「蕾」を歌うグループ
「こぶくろ」を紹介していました。
小渕さんと黒田さんの二人の頭文字を取って、
つけたグループ名が「こぶくろ」。
何と小渕さんの故郷は宮崎だったのですね。
テレビには小渕さんが高校に通ったという大淀川沿いの道が、
画面に出ているではありませんか。
二人は大阪で路上ライブから出て来て、
次第に認められて昨年レコード大賞を受賞したのです。
亡くした母に捧げる自作の曲「蕾」を、
涙ながらに歌う小渕さんの姿を見て、
昨日は僕ももらい泣きをしました。
もうすぐ3月。
進学、就職と若い蕾たちの開花の時が、
目前に迫っています。
若いつぼみたちが人生の大事な時を迎えます。
頑張れ。つぼみたち。
110 佐土原人形 たろの弟 - 2008/01/05 22:30
これも投稿です。
西佐土原と呼ばれる、宮崎市の特区佐土原町の西佐土原は島津配下にあった城下町ですが、この人形のルーツはあります。この人形は朝鮮半島から慶長2(1597)年の朝鮮の役の後、この地に渡ってきた陶工たちが故郷の家族の安穏を祈り、作り始めたと伝えられています。
佐土原藩は寛保2(1742)年に鹿児島苗代焼きの陶工たちを招待して、佐土原焼きを発足させようとしたようですが適した陶土に恵まれず実現はしなかったようです。
この人形は「饅頭食い」と呼ばれています。あるエピソードに基づいています。それは「お父さんとお母さんのどちらが好きか」と問われ、饅頭を半分にし「どちらが美味しいか」と答えたというものです。
この話も、先の陶工の人々の思いに基づいていると伝えられています。この人形のほかにも様々なものがあります。庶民文化を基にした「歌舞伎人形」などもあります。一時は佐土原人形の存亡の危機といわれる時期もあったそうですが、今は複数の製作所が製造をしています。
このように記念品にも用いられているようです。
*このように「饅頭食い」を紹介しました。
109 鯨ようかん たろの弟 - 2007/12/19 16:47
機会あって鯨ようかんのルーツを調べました。あちこちのHPを参考にしたものです。
写真入のの分ですのでちょっと変ですが・・・。
これは宮崎市佐土原町に伝わる「鯨ようかん」です。米の粉を蒸し、小豆を練りこんだ餅と組み合わせ、独特の風味を作り出しています。佐土原町の銘菓と、ファンも多いようです。日持ちがしないため、現地でしか食べることができない「幻のお菓子」と言われてきたものです。宮崎空港1階売店で当日朝に作ったもの(数量限定)、東京にある「新宿みやざき館 KONNE」で冷凍されたものが入手できるようです。硬くなっても、電子レンジ等で蒸し直すことによって、作りたての弾力を取り戻すことができます。
江戸時代、薩摩藩の支藩であった佐土原藩4代藩主島津忠高が26歳で早世。その子・万吉丸は2歳にも満たない年齢であったため、世継ぎを巡って松木事件という事件まで起こります。その混乱の中、幼い万吉丸の母・松寿院が「息子と藩が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」と願いを込めて鯨に似せた羊羹を作らせたと伝えられています。万吉丸は後に5代藩主(6代とも)島津惟久となり、名君と慕われたといいます。現在西佐土原の2件の店で製造販売がされています。街の欄干に鯨を見つけました。
追記
現在では全国発送もOK
以上です。
108 宮崎弁が今年の流行語大賞 ひょうきんたろ - 2007/12/18 23:44
県知事になったあの方、
そのまんま東ですね。
東国原知事の言葉、
「どげんかせんといかん」が
今年の流行語大賞になりましたね。
佐土原弁では「どんげかせんといかん」だと、
思うのですが。
それはともかく、宮崎弁が流行語大賞になるとは。
大変嬉しいことです。
頑張れ、宮崎。
107 大好き冷汁 ひょうきんたろ - 2007/09/14 23:31
もう9月に入ったというのにまだまだ暑いですね。
朝夕は涼しいですけど。
冷汁を作って食べました。
ごまをすり、味噌もすり、豆腐もすり、
たったそれだけなのに、
どうしてあんなにおいしいのでしょうか。
106 お盆明け ひょうきんたろ - 2007/08/20 22:59
お盆が終わりましたね。
今年は各地で大変な熱さが続いています。
今日は大分では昨日に引き続き入道雲が出てすごい雷雨でした。
今日は高校野球夏の甲子園大会も、ベスト8の対決でした。
九州勢が活躍したのも暑い夏に、九州勢が慣れているからかな?
などと考えていました。
夏の甲子園が終わると、
そろそろ夏も終わりですね。
105 砂漠化 ひょうきんたろ - 2007/08/11 00:34
今日は8月11日です。
いよいよお盆に入りました。
今日あたりから帰省する人も増えてくるころと思います。
暑いので気をつけて下さい。
車の中はクーラーがつけてあっても要注意です。
直射日光があたるところは、
皮膚が熱を帯びて熱くなり、
年寄りや子どもだけでなく大人も危ないです。
直射日光を遮る工夫をしたいものですね。
車の中でも。車外での日傘のように。
104 コメントは歴史 ひょうきんたろ - 2007/07/16 23:05
管理人さん、ぜひ表紙の巻頭言を残しておいて下さいよ。
きっと懐かしく当時のころを思い出す時が来るはずです。
子どもたちなど、未来の人たちが、
父(じいちゃん)な、こんげなこつをかいちょるが、
と言う日が来ると面白いですね。
休まず弛まず、一歩づつ少しでも、
気長にやっていきませんか。
応援しています。
103 感動しました ひょうきんたろ - 2007/06/03 23:45
管理人さんのまるで詩のようなコメントに感動しました。
自分たちの子ども時代には、静かさがありましたね。
昭和30年代の後半くらいまでは、
佐土原はほんとうに静かな田舎でした。
それほど車が少ない時代でした。
宝塔山に登って聞こえた犬の声が、
人の呼び声に聞こえたそんなのどかな時代でした。
懐かしいですね。
やはり管理人さんは芸術家です。
鋭敏な感受性ですね。間違いないです。
102 農業の時代 ひょうきんたろ - 2007/03/17 00:30
管理人さんの書き込みに思うところがあって書きます。
子ども時代のような農業の時代はこないのかとのことですが、
僕は最近思うのは、バイオエタノールという植物を使った燃料、
これは一つのねたになるのではと思います。
またもう一つは農業自体の自由化ですね。
中小企業白書や日経新聞を読んでいるかぎりでは、
農業に企業が進出すれば、まだ農業の可能性はあるかなと。
農業に例えば建設業が進出できるようにすれば、
まだまだ捨てたものではないのでは?
もちろん零細の既存の農家をどうするか。
これは大きな問題ですが、うまく住みわけをしていけば、
まだまだいけるのではないでしょうか。
思い付きで済みません。ふだん頭にあることを書きました。
済みません。あいまいなことや勉強不足がありますので、
きょうはふと思ったことを書いたところで失礼します。
101 インフルエンザ要注意 ひょうきんたろ - 2007/02/22 00:05
2月21日です。
今日は大分で少しどきっとする?
話しを聞きました。
インフルエンザが流行ってきたとのことです。
トリの話しではありませんよ。人です。
大分の子どもの間ではやりだしたそうです。注意しましょう。
今日は早速室内に洗濯物の陰干しして、
そして風呂のふたを開けて蒸気たっぷりで寝ます。
インフルエンザウイルスは湿度に弱いそうです。
100 東国原知事誕生 ひょうきんたろ - 2007/01/24 00:16
平成17年1月早々の県知事選挙で、
新しい県知事が誕生しましたね。
東国原さんが新しい知事になりました。
芸名でなく知事は本名でやるそうです。
何かと大変な時期ですね。
鳥インフルエンザや前任知事の汚職など。
それだけに新知事の活躍に期待したいと思います。
99 祝 成人式 ひょうきんたろ - 2007/01/07 22:04
明日成人式を迎える皆さん、おめでとうございます。
今日も各地で成人式があっているようです。
今日は北国では突風が吹いたりして、
大変な荒れ模様ですが、明日は九州各地は天候が良さそうですね。
思いでに残る、楽しく晴れやかな成人式となるように祈ります。
98 いのししの年発進 ひょうきんたろ - 2007/01/04 21:52
明けましておめでとうございます。
いよいよ平成19年がスタートしました。
今年はいのししの年。
でも、いのししも椎の木などの広葉樹林が減ったせいで、
おそらく食糧難なのでしょう。
昨年ころからいのししがあちこちに出没して、
人間との衝突が続いています。
山が荒れれば、海が汚れるそうです。
今年は全国の山の再生が大きな課題になりそうです。
美しい日本を再生するためにも、山の再生が課題ですね。
ほったらかしの杉の山をどうにかしないといけませんね。
中国の環境破壊も心配ですね。
ぜひ、これはこれから勉強していきます。
97 祝 大山志保選手 ひょうきんたろ - 2006/11/27 23:47
ゴルフの女子プロ選手で、
宮崎出身であり、今も宮崎を本拠とする大山志保選手の、
本年度賞金王が確定しました。
宮崎出身者としても、とても嬉しいですね。
大山選手をテレビの映像だけで見た時には、
何か遠い存在でしたが、話すのを聞いて、
そんな気持ちは吹っ飛びました。
彼女の話す言葉は懐かしい宮崎弁でした。
感動しました。有難うございました。
96 台風お見舞い申し上げます ひょうきんたろ - 2006/09/18 23:03
台風13号が九州を直撃しました。
正確にはかすめたと言って良いかもしれませんが、
風が大変に強く、多くの被害が出ました。
延岡では突風(竜巻き?)により電車が倒れ、
商店の棚が倒れ、犠牲者が出たようです。
亡くなられた方には、心よりお悔やみ申し上げます。
また被害に会われた方には、何もできませんが、
一日も早い回復をお祈りしたいと思います。
子どもの時に、台風を避けるため、
第二次大戦時中にできた防空壕に避難したことを思い出します。
95 失礼いたしました ひょうきんたろ - 2006/09/05 23:34
8月が「はずき」でしたね。
失礼いたしました。
葉の生い茂る月というのは大変感じがでますね。
日本人は感性が豊かだったと感じ入ります。
94 9月が来ました ひょうきんたろ - 2006/09/03 23:06
いよいよ9月がやってきました。
むかしの言葉では、この季節を葉月といいますよね。たしか。
厳しい日ざしが葉によってさえぎられる樹の下、
というイメージが湧いてきました。
今日は太宰府の水城という古代の堤の横を通りました。
古代日本が作った堤ですが、歴史の中で樹木が生い茂り、
今はこんもりした落ち着いた森になっています。
そばを通ると蝶が舞い、鳥が鳴き、涼しい空気が流れ、
懐かしい故郷宮崎の森を思い出しました。
93 夏休みが終わる! ひょうきんたろ - 2006/08/26 00:09
もう8月25日。
しばらくすると新学期がやってきます。
夏休みの最終日の気持ちを覚えていますか?
…楽しかった夏休みが終わる、
明日からまた勉強の日々が始まる、
夏休みの宿題ができていないけどどうしよう…
と思いながら、
泣きだしたい気持ちで、
9月1日を迎えたことがありました。
覚えていますか?
92 高校野球が終わった ひょうきんたろ - 2006/08/22 23:35
今年も高校野球が終わりましたね。
早稲田実業高校と駒大苫小牧高校が決勝で対決し、
再試合までもつれこむ大変な決勝戦になりました。
高校野球が終わるころには、
入道雲が見えたり、夕立ちが来たりします。
佐土原では、たしかいまごろでしょうか。
地区対抗のソフトボールの試合をして、
盛り上がった覚えがあります。
91 吉村昭さん逝去 ひょうきんたろ - 2006/08/04 23:43
作家の吉村昭さんが亡くなられました。
心より御冥福をお祈りします。
吉村昭さんを知ったのは、宮崎日南出身の外交官を扱った小説、
「ポーツマスの旗」を読んだ時でした。
そして最近読んだ本は、薩摩藩がイギリス人を殺傷し、
それが元で薩英戦争にまで発展して出来事、
生麦事件を扱った歴史小説「生麦事件」です。
この小説には薩摩の支藩だった佐土原藩の名前も出て来ます。
興味のある方は読んでみて下さい。
「佐土原藩家老樺山」「用人能勢直陳」などの記述もあります。
薩摩とイギリスの仲介役を果たしたのが佐土原藩だったようです。 歴史は長く、人生は短い。吉村さんの冥福を祈りつつ、
後に続く我々の将来が輝きあるものになるよう、
精一杯努力していきましょう。(^^)
90 お盆近づく ひょうきんたろ - 2006/08/01 23:15
いよいよ八月を迎えました。もうすぐしたらお盆ですね。
ふと思い出したのは、以前に東北出張の時に見た、
福島県の会津で見た薩軍墓地です。
明治維新の前、徳川幕府を守ろうとする会津藩等の諸藩連合と、
徳川幕府を倒して新しい政府を作ろうとする薩摩藩等の軍勢が、
東北各地で戊辰戦争という戦いをしました。
会津で見た薩軍墓地は、会津にとっては敵であるはずの、
薩摩藩とその支藩佐土原藩の戦死者を会津の人たちが手厚く葬り、
今に続くまで墓守りをしてくれているのです。
私が薩摩の支藩、佐土原藩の話しをしたものだから、
土地の年輩者が参拝に誘ってくれたのです。
びっくりしました。佐土原藩の戦死者が祀ってあったのです。
懐かしい佐土原の氏名もこの目でしっかり見ました。
もう20年も前の思いでです。
お盆が近くなると、こんなことを思い出します。
89 へちまの夏 ひょうきんたろ - 2006/07/30 20:15
梅雨あけしてから、
ほんとうに暑い日が続いています。
西日が僕の部屋をよく照らすなあなどと考えてましたら、
ふとへちまのことを思い出しました。
西日の当たる教室にはわしてあったあのへちまを覚えてますか。
よく西日を防いでくれて、
面白い実(面長の顔)で僕たちを楽しませた、
あのへちまです。
最近はあまり見ませんね。
来年こそは、へちまを植えて西日を防ぎましょうかね?
88 そろそろ梅雨明け? ひょうきんたろ - 2006/07/18 23:32
各地で大雨が降っています。
でもそろそろ梅雨明けがあるのでは?
愛宕様の夏祭りもたしか7月。
だんじりの太鼓の音が懐かしいです。
87 七夕 ひょうきんたろ - 2006/07/08 12:04
昨日は七夕。
どんな七夕をお過ごしでしょうか。
子どものろには、七夕には夜空を眺め、
親から、織姫の物語りを聞いたものでした。
折から台風が近づき、あまりそんな雰囲気でもありませんが、
おしろい花、あじさいはやはりこの季節はきれいですね。
心がいやされる思いです。
86 新年度近づく ひょうきんたろ - 2006/03/16 21:55
新年になったと思っているうち、
早いもので3月の中旬に入りました。
もうじき佐土原の小学校や中学校でも卒業式があり、
懐かしい校舎や友人や先生との別れがあります。
そして桜の花の咲くころには、
新しい入学生を迎える入学の季節を迎えます。
佐土原の子どもたちは元気でしょうか。そして桜も。
入学式のある季節を迎えます。
85 新しい佐土原 ひょういんたろ - 2006/01/14 23:48
明けましておめでとうございます。
2006年1月に入りました。
ホームページも新しくなりましたが、
佐土原も宮崎市に編入になりました。
宮崎市に入っても佐土原の名前も残ったということで、
とりあえずはほっとしています。どうぞ今年もよろしくお願いします。
84 お見舞い ひょうきんたろ - 2005/09/12 00:09
台風お見舞い申し上げます。
本当に大変な台風でした。
被害を受けた方々は本当に大変だったと思います。
心よりお見舞い申し上げます。
何もできませんが、宮崎の復興を祈っております。
80 台風に気をつけましょう ひょうきんたろ - 2005/09/04 23:35
台風14号が奄美大島付近を北上しています。
勢力範囲が広く、風も強いようです。
進行方向を見ると、九州に直撃するような気がします。
十分に気をつけたいものです。
台風の目がはっきりしているので、
ちょっと恐いです。
79 彼岸花 ひょうきんたろ - 2005/09/02 23:34
お盆ももう終わりましたね。
昔は彼岸花を田んぼのあぜ道でよく見かけたものです。
夏の間は、地面にぴったりと平らに張り付いていたのが、
秋になるとすっくと茎を伸ばし、
見事な花を咲かせるのですから、すごいものです。
咲いたらまた地味な草に戻ると思います。すごいですね。
78 だんじりが懐かしいですね ひょうきんたろ - 2005/08/01 23:25
愛宕神社のお神輿と、和太鼓をのせた青と赤のだんじりが、
町の角でぶつかりあうだんじりのお祭りはもう終わりましたか。
たしか7月でした。
この季節になったら必ず聞こえただんじりのたいこの音は、
佐土原を離れても二十年くらいは、
耳の中でひとりでになっていましたよ。
77 あじさいの季節 ひょうきんたろ - 2005/06/28 23:17
もうすぐ七月を迎えようというのに、
大分では雨がほとんど降りません。
あじさいが枯れようとしています。
これも中国の山林が伐採など環境破壊が進んだせいでしょうか。
それとも地球の内部の熱のせいでしょうか。
わかりませんが、ちょっと心配ですね。
76 桜の花が今満開 ひょうきんたろ - 2005/04/09 00:07
4月8日です。
いまや桜が満開です。
なんであんなに桜の花はきれいなんですかね?
75 桜の花の季節 ひょうきんたろ - 2005/03/22 22:38
三寒四温という言葉があります。
今年も寒くなったり暖かくなったりしながら、
季節は知らないうちに移り変わっていたようです。
気がつけば、すでに3月。
畑や野原のあちこちに草が生え、
風景にはずいぶん緑が増えました。
自然は本当に正直ですね。
いよいよ来月は4月。
小学校、中学校、高校、
そして大学でも入学式がある4月。
いよいよ桜の花の季節を迎えます。
思い出すのは宝塔山の桜。
土曜の午後に散歩がてらによく桜を見に行きました。
西都原も桜の名所でした。
中学生時代に遠足で行きました。
ラジオでこんな俳句を紹介していました。
古い俳句のはずなのに、全く古さを感じない句です。
さまざまなこと思い出す桜かな
松尾芭蕉
74 宮崎で雪が降った! ひょうきんたろ - 2005/02/04 00:01
管理人さん、こんばんは。
宮崎でも雪が降ったのですね。
おっしゃる通り、雪が降ったのは、
昭和36,7年頃に一度降って、
朝起きたら雪がつもっていて、
兄弟で雪うさぎを作りました。
もう一度は昭和50年の2月ころにも積もったのです。
歌「なごり雪」が流行る直前の年と思います。
73 宮崎も雪がふりましたよ oti - 2005/02/02 18:40
ひょうきんたろさん、宮崎も雪がふりましたよ。
朝からぱらぱらしていました。
午後になって少し強く降りました。
積もるほどでは、ありませんでした。
でも、こどもたちが、よろこびました。
私の、記憶では、雪が積もったのは、一度だけです。
宮崎では、珍しいですものね。
寒いはずです。
備えが、ないのでなおさらです。
とうとう、ストーブをだしました。
体に、気をつけましょうね。
それでは、また
v72 もうすぐ節分、そして春が ひょうきんたろ - 2005/01/30 23:30 毎日寒いですね。
大分は山は雪化粧です。
風が強くて寒い時期です。
でももうすぐ節分ですね。
僕も子どもが小さい時は鬼の面をかぶり、
鬼は外をやりました。
節分が来れば、もうすぐ春ですね。
71 住民が幸せになれば ひょうきんたろ - 2004/12/27 23:50 佐土原と宮崎の合併を考える時に思うのは、
やはり今の住民の方の幸せです。
佐土原の規模は確かに中途半端ではあると思います。
医療、雇用、消費、教育などを考えると、
宮崎市の影響力は大きいと言わざるを得ませんね。
宮崎の良いところと、佐土原の良いところを取り入れ、
佐土原の皆さんが幸せになってもらえれば、
それ以上何が言えるかという問題だと思います。
もちろん、宮崎の人たちには、佐土原の歴史と伝統を、
佐土原の人たちの気持ちを最大限尊重して欲しいと切に願います。
70 なるほど oti - 2004/12/27 19:45
なるほど。税金までは、考えませんでした。
私も、あまり、合併には、賛成では、ありません。
でも、ユーロで、ヨーロッパが、まとまる時代です。
統一も何かよいこともあるかもしれません。
よいほうに考えないとね。
聞いたところによると、区制が、しかれるかもしれないそうです。
佐土原区になるのではないかとのことでした。
はっきりしたことは、わかりません。
それでは、又。
69 宮崎との合併 ひょうきんたろ - 2004/12/22 23:03 -
やはり宮崎市と佐土原町が合併するようですね。
企業合併を経験した自分としては、
良いことなのかなという感じがどうしても抜けませんね。
冗談ですが、町長から僕には相談がなかったしな。(ぼやき)
元町民には相談は何も無かったのです。
税金も払っていないので当然ですが、
何か釈然としないのは僕だけでしょうか。
67 そうですか。 oti - 2004/12/15 20:13 -
そうですか。賛成が、多かったのですか。確かに佐土原の住民には、(全員かどうかは、知りませんが)アンケートがあったようです。よそから、移り住んだ人が、増えたのでしょうか。それとも、県外に出たことがない人には、ふるさとの良さが見えないのでしょうか。以外でしたね。県外の人の意見も聞いた方が、よいですよね・・・。それでは又
66 佐土原が消える? ひょうきんたろ - 2004/12/15 00:20 -
宮崎日日新聞によると、
佐土原町は宮崎市との合併協議を整えたとのことです。
佐土原町はいったいどうなるんですか?
名前はなくなるんですか?
町民アンケートで賛成が多かったようですね。
さてその町民とは?今の住民のことでしょうね。きっと。
62 元気をありがとう ひょうきんたろ - 2004/08/28 23:20 -
佐土原高校は甲子園の野球大会で、
2回戦まで進み、私のような佐土原出身者には、
佐土原の名前が聞けて、
とても嬉しかったです。
勇気を有難う。佐土原高校の野球部の皆さん。
また全国大会で那珂の少年野球のチームが、
優勝したとのニュースまで飛び込んできました。
佐土原の野球少年の皆さん、元気をありがとう。
おじさんは涙が出ました。
61 よかったですね oti - 2004/07/28 14:11 -
本当に、よかったですね。
甲子園初出場おめでとうございます。
ホームページを見ました。
昭和63年開校だそうです。
十数年で、達成したのですね。
通勤時にいつも学校のそばを通ります。
地元が、甲子園に出ると元気が出ます
大変でしょうが、甲子園でも頑張ってほしいものですね。
頑張れ!頑張れ!佐土原
60 佐土原高校甲子園へ ひょうきんたろ - 2004/07/25 22:53
佐土原高校が強豪の日南学園を、
3対2で破り、甲子園出場を決めたそうです。
本当におめでとうございます。(^^)/
59 佐土原城跡が国の史跡に ひょうきんたろ - 2004/05/23 23:26
宮崎日日新聞や西日本新聞などによりますと、
佐土原城跡が国の史跡になるように申請されたそうです。
長い間、山の中で草のなかで埋もれていた佐土原城。
町が整備するなど、町民が大切にしていくうちに、
認められたのでしょうね。
58 はらしく ひょうきんたろ - 2004/05/17 23:52
管理人さん、健康には十分注意してください。
あまり若くはありません。
もちろん年ではありませんが。
最近は、牛乳にすりごまを入れて飲んでいます。
ごますりなどは、嫌われますが、
すりごまは身体に良いようです。
しかしなんとかかんとか言いましても、
きつい時は休むにかぎります。
意欲がわかない時は、ゆっくり休んでください。
は、らしく。
てげ、てげ、が一番ですよ。
57 佐土原中学校合唱部金賞 ひょうきんたろ - 2004/05/05 20:53
佐土原中学校の合唱部が、
全国大会で金賞をもらったこと、
御存じでしたか?
私は「佐土原」を検索して初めて知りました。
立派ですね。
ところで、管理人さん、
思いきりゆっくり充電して下さい。
休みはおもいきり休みでよいではないですか。
このホームページも義務ではありませんので。
56 よくやった!佐土原高校 ひょうきんたろ - 2004/04/29 20:18
本日4月29日に、大分で行われた九州地区高校野球大会で、
佐土原高校野球部は決勝戦で、同じ宮崎の日南学園と対戦し、
惜しくも6対3で惜敗しました。
負けましたが、九州各県の代表と戦い、
決勝まで進出し、堂々の準優勝です。
健闘をたたえたいと思います。
佐土原高校野球部の選手達、立派でしたよ。
佐土原出身にとっては、元気をいただきました。
有難う。選手の皆さん。
55 決勝進出だ!佐土原 ひょうきんたろ - 2004/04/28 23:17
高校野球九州地区大会で、佐土原高校が、
決勝に進出します。
すごいですね。立派ですね。
明日の日南学園戦でも立派に戦ってほしいですね。
54 すごいぞ佐土原高校 ひょうきんたろ - 2004/04/27 23:22
九州高校野球大会に出場した佐土原高校の野球部が、
なんとベスト4になりました。
同じ宮崎県勢の日南学園も、ベスト4に進出したそうです。
準決勝は、28日の10時から新大分球場であるそうです。
近いので行ってみたいですね。平日なので無理ですが。
すごいですね。佐土原高校野球部。
勇気をもらった感じです。(^^)
53 佐土原高校がんばれ ひょうきんたろ - 2004/04/25 22:37
佐土原高校の野球部が九州高校野球大会で、
健闘しているようですよ。
頑張れ!佐土原高校野球部の生徒たち。
52 郡山さんたち解放おめでとう ひょうきんたろ - 2004/04/16 07:05
イラクで拉致されていた郡山さんたち3人が、
無事解放されました。
郡山さんは佐土原小学校が母校とのことで、
郡山さんの解放を願って、
佐土原小学校の児童たちが、千羽鶴を折っていたと、
ラジオで聞いていました。
お母さんのきみ子さん、おばの紀代子さん、
弟さんたちも良かったですね。
ほっとしました。
51 お疲れさまです ひょうきんたろ - 2004/03/24 23:54
ottiさん、いつも楽しみに見せてもらってます。
ほとんど毎日、実は見ていますよ。有難うございます。(__)
最近、管理人さんお疲れぎみとか。
年とともに何かと考えることは増えます。
そういえばしわも、しみも。(苦笑)
無理をせず、ぼちぼちいこきましょう。
そして、たまにはだれやみ?でもしましょうかね。
オフ会という飲み会はいかがでしょうか。
50 星を見ると眼がよくなる? ひょうきんたろ - 2004/02/11 14:14
ottiさんが、眼が悪くなる話しをしていました。
昔は、星を見ると眼が良くなると聞いていました。
今は逆に眼の前にあるパソコン画面を眺め、
揺れる電車やうす暗いところで携帯の画面を眺め、
眼が悪くなることばかりやっていますね。
そうですよ。たまには星を見るゆとりも大事です。
そうすれば、月夜の晩に星明かりを頼りに、
あぜ道を歩いた子ども時代を思い出せるはずです。
暗い夜中に、離れの便所まで行き、
「ちょうずばち」(masaさん、これでしたっけ?)で、
手を洗った懐かしい時代も思い出せるはずです。
昭和30年代の思いでは貴重です。
49 月のこと masa - 2004/02/01 06:51
ひょうきんたろさんのを読んでいて、まざまざと思い出したことがあります。
冬の寒い夜中だったと思います。トイレに起きて、昔あった軒先にぶら下げてあった、金属の突起を下から押すと水の出てくる手洗い器で手を洗い、空を見上げると丸い月が晧々と輝いていました。
戸外の畦や、人家の屋根は青く、しんとした中で、月が青いのはホントだなと思ったのでした。
48 月明かりの道 ひょうきんたろ - 2003/12/07 23:07
伊東静という詩人だったと記憶しますが、
月明かりの道という詩があったように記憶します。
昔僕たちの子どもの頃は、
月明かりを頼りに、畦道を歩いた記憶があります。
今とくらべると、心静かな日々だったような気がします。
宮崎も電気で明るくなりましたが、
うちの子どもは、宮崎の空が見たいと言います。
星は今でもきれいと思いますよ。
47 ふだん草を植えました ひょうきんたろ - 2003/11/30 23:24
ふだん草の話しが出ていました。
実は私もふだん草の種が手に入り、
ベランダのプランターに植えました。
小さな芽が出ています。
肥料なしでも育つかな?
これから楽しみです。
それから、鯉釣り大会の時の浮きがすーっと動き、
どきどきするあの感覚を思い出しました。
46 鯉釣り大会 masa - 2003/11/14 06:49
おはようございます。
ここ一ヶ月、毎朝早朝、体力作りにと散歩をしています。まだオリオンや月が晧々と輝いているのを仰ぎながらの散歩は気持ちの良いものです。
一時間ほど歩くのですが、十月は汗ばんでいたものの、さすがに十一月になるとそういうこともなく、指先の冷たさを感じます。
ところで、今日ふと思い出したことがあります。それは「鯉釣り大会」のことです。小学校の五、六年だったと思うのですが、「たんの池」(追手の、佐土原中学校にむかう通学路の西?のあの池です)の鯉釣り大会にいきました。暗いうちから春田のS君と彼のうちの牛舎の脇で、せっせとミミズ取りをしました。
もう、心は「たんの池」。でかい鯉を釣り上げるシーンが目に浮かびます。空想が僕たちの心を占めていました。息が白かったと記憶しますので十月後半だったと思います。
参加料を払って、水面に向かって結構急な赤土の斜面でいざ一投目、すぐにはあたりは来ません。はやる心もだんだん落ち着いた頃、なにやら頭上から、赤いものが投げ込まれるのです。それは僕たちのプラスチックの細い浮きとは違った、まるでUFOのような浮き。そしてはるか遠くに投げ込まれるのです。
その人は安田のおじさんでした。今思えば、あの仕掛けは海釣りの仕掛けだったのでしょう。足下のすぐそばを釣っている僕たちはなんだか情けなくなりました。鮒は釣れたのですが、あの鱗のでっかい、夢想した鯉はなかなか釣れません。
安田のおじさんの浮きがスッと沈み、テグスのきしむ音、リールを巻き取る音、現れたのは唇の分厚い、大鯉。興奮とうらやましさで一杯になりました。
その後の記憶はなぜか全くありません。今も「鯉釣り大会」はやっているのでしょうか。
45 安心しました ひょうきんたろ - 2003/10/20 23:11
随分と昔のことですが、
やはり佐土原中は、少しずつ移転したんですね。
保育園のころの記憶は間違いなかったんですね。
安心しました。
でもあの時の中学の在校生の先輩方は、
落ち着かなかったでしょうね。
追伸;ふだん草の種を買いましたよ。大分にありました。
44 記憶違いでは、ないようです oti - 2003/10/02 17:48
ひょうきんたろうさん、今日は。
記憶違いでは、ないようです。
そのとおりでした。
第6回卒のMさんの文章がでていました。
昭和34年に那珂中と合併し、
36年にはさらに移転しました。
と有りました。
報告が、遅くなってすみません。
その2年間は、どう過ごしていたか記述がありませんでした。
ひまひまに50周年記念誌を読み進んでいます。
やっと旧佐中の半ばまで、きました。
感心させられたり、笑ったり、もらい泣きしたりしています。
本当に人生は、小説よりも面白いですね。
それでは、また。
何か発見したら報告します。
43 旧佐土原中学 ひょうきんたろ - 2003/09/19 00:23
旧佐土原中学の那珂中学との合併は昭和34年ですか。
自分の眼の中に残っている映像では、
たしかに今の佐土原小学校の南側、
佐土原小学校の道路をはさんだ反対側に佐土原中学はありました。
建物が壊される様子や、
お兄さんたちが机や椅子を運び出す様子は、
確かに記憶しています。
でもよく数えてみると、
僕がお兄さんたちの様子を見たのは、
小学校入学1年前の昭和36年なのです。
どうも数が合いませんね。困りました。
記憶違いでしょうか、それとも数え違いでしょうか。
また一つ悩みが増えました。
42 良く覚えていますね oti - 2003/09/17 08:21
こんにちは,ひょうきんたろうさん。
いつもありがとうございます。
しかし、すごい。
良く覚えていますね。
私の場合4,5歳ごろの記憶は,ほとんどありません。
家の庭から出たこともなかったかもしれません。
書類上では,昭和34年10月に合併しているようです。
35年ごろに引越したかもしれませんね。
場所は,どの辺だったのでしょう。
佐小の南、道路を挟んだところとのことですが。
誰か、知らないでしょうか。
なにか資料が見つかるといいですね。
それでは,また。
41 旧佐土原中学の思い出 ひょうきんたろ - 2003/09/15 21:16
ottiさん、アクセス2千件、おめでとうございます。
ottiさんは、たしかに子どものころからねばり強かった。
偉いと思います。どうか疲れない程度に末永く続けて下さい。
いつも楽しみに見ていますよ。
さて、合併前の旧佐土原中学のあった場所についてのが出ていました。
実は、僕は、佐土原保育園のころ、昭和35年の秋ころ、
佐土原中学のお姉さんやお兄さんたちが、
引っ越しをしていったのを憶えているような気がします。
中学のお兄さんお姉さん達が、佐土原保育園の砂場から見えたのははっきり憶えています。
引っ越しというのは、具体的でないのですが、中学のお兄さんやお姉さん達が、
椅子や机を運んでいたような記憶があるのです。
その後トラックに積んだのかなどはわかりませんが、うっすらと憶えています。
佐土原中学と那珂中学が合併したのは、昭和35年の秋という記録があれば、
私の記憶が正しいということになるのですが、どうでしょうか。
僕の記憶では、佐土原中学の跡地には、工場が建ちました。
40 ふだんそうのこと ひょうきんたろ - 2003/09/09 00:26
masaさん、ふだんそうのこと調べてもらって、
ありがとうございました。
思い出せば、ふだんそうを煮るとあくが出たような気がします。
おそらく中国野菜のチンゲンサイあたりのあくのない、
肉厚がある野菜に取って変わられたのかもしれませんね。
でもふだんそうはちょっとした庭があれば、
気軽に植えれば、簡単に育って、なじみのある野菜でしたね。
また食べたいと思っています。
39 2000番目!ゲット。 masa - 2003/08/24 23:39
2000番目ぴったりになれました!
HP管理大変のことと思います。残暑お見舞い申し上げます。
さて、HTさんが「ふだんそう」のことを書いておられたので、行きつけのスーパーで調べてみましたが、やはりありませんでした。結構品数の多いスーパーなのですが。
kazuさんにきくと、あの野菜は少し苦味があったんじゃないだろうか。自然に消費者離れが起きたんじゃないかなといっていました。そうかもしれないと思った次第です。
野菜農家に知人がいるとよいのですが・・・。また調べてみようと思います。
38 ふだん草の味噌汁 ひょうきんたろ - 2003/08/03 21:35
こんばんは。
お盆が近づいてきました。
佐土原の風景がふとまぶたの裏に思い浮かぶ季節です。
ぼくも今年は単身で帰省しますよ。
先祖のお墓参りや、懐かしい人の顔も少しは見てみたいですね。(^^)
ところで、きょう冷や汁を作りながら思い出しました。
それは佐土原で子ども時代に食べた、あの具沢山の味噌汁です。
海草に、油あげ、野菜がたっぷり入った味噌汁です。
鹿児島でも、あんな感じでたくさん具の入った味噌汁を作りますよ。
ところで、ふだん草という野菜を毎日食べていましたが、
あれは最近スーパーでも見かけません。
福岡でもみないし、大分でも見ません。
佐土原や宮崎では売っていますか。
佐土原の種苗店では、ちゃんと種を売っていますかね?
また食べたいな、ふだん草の味噌汁。
37 忘れていました oti - 2003/07/26 18:38
そうでした
重要なアイテムを忘れていました
豆腐が、必要でしたね
何か忘れていたような気がしていました
もう、年でしょうか
物忘れがひどいようです
長く食べていませんから・・・
炒り子は、頭を取ってすり鉢で摺っていたと記憶しています
豆腐は、自転車で売りにくる背の高いおじさんから買っていたように思います
今の豆腐より美味しかったように思います
前回話した山芋汁の材料は,山に堀に行きました
これは,すこし大きくなった子供の仕事だったように思います
1メーター近く堀ますのでかなり重労働でした
今思えば、懐かしいです
36 冷汁 masa - 2003/07/25 21:23
冷汁が話題になっていますので私も・・・。
otiさんのお宅では豆腐を使っておられないようですが、我が家は豆腐を使っていました。
僕は豆腐は苦手な方なのですが、なぜかすり鉢でいりごまと味噌をすりつぶし、いりこの熱いだしでのばされた豆腐のうまいことうまいこと。なんででしょうね。
ちなみにご飯にかける前に紫蘇を刻んだのを入れていましたね。
何年か前に、マンガ「おいしんぼ」で、来日公演を続けていた外国の女性歌手が、にわかにトーンダウンして歌うのもままならなくなったとき、山岡がオリーブを使った料理を食べさせたとたん、彼女は元気をみるみる取り戻した。そういう食べ物を「ソウルフード」だと言うんだと見て、いい話だなあと思ったものです。
ぼくのソウルフードってなんだろうと考え、一番に思いついたのが冷汁でした。もう立て替えられてなくなりましたが、今のつくし屋のまえに、柳田とうふがありました。そこで手渡してもらう一丁の豆腐の向こうから、大豆のいい香りがしていたのを思い出します。
35 冷汁食べたいですね oti - 2003/06/28 19:48
そうなんですか。
冷汁は、宮崎県の南、西都や佐土原、宮崎近辺しか作らないのですか。
知りませんでした。
我が家の、冷汁は、ゴマと炒り子をすり鉢で擦って味噌を合えたものでした。
いたって、シンプルで,氷水にといて、きゅうり等を浮かべて食べていました。
店で、出しているところも有るようですが,覚えている味と違うようです。
簡単な料理ですが,結構手間が,掛かっていました。
よく母にすり鉢を押えるのを手伝わされた記憶があります。
今となっては、良い思いでです。
あと、料理で,思い出すのは,山芋汁です。
山芋をすって、しょうゆ味のつゆにといたものです。
これを,ご飯にかけて食べるのです。
これは,本当においしかったです。
だだ、食べ方が悪いと後で,口の周りが,痒くなるのが,玉に傷でした。
この、料理は,あまり見掛けません。
あるいは,我が家だけの料理かもしれません。
食物の思い出話になると切がありませんね。
それでは,又。
34 冷汁の季節 ひょうきんたろ - 2003/06/23 23:36
冷汁の季節がやってきました。
宮崎でも、県北では作りません。例えば延岡ではつくりません。
県南でもつくりません。例えば小林の出身は知らないのです。
おそらく宮崎県の南、西都や佐土原、宮崎近辺しか、
作らないようです。湿気の多い宮崎らしい食べ物です。
夏は御飯がぼんぼん入るので驚きです。
我が家は、福岡住まいですが、子どもたちには、
父の味で、冷や汁は、子どものころから味をおぼえさせました。
県北出身の妻も、結婚うん十年で、
遠慮がちだった冷や汁を、おいしいと食べるようになりました。
大分でも、明日は冷や汁を作って食べますよ。(^^)/
32 台風の思い出 ひょうきんたろ - 2003/05/31 01:36
台風が近づいてきました。
覚えていますか。子どものころのことを。
台風の時は、小学校が休みになりましたね。
玄関から、竹やぶが揺れるのを一日飽きずに眺めたことを、
ありありと思い出します。
31 十ケ町村運動会応援歌 masa - 2003/05/19 18:56
情報提供者の回想から
以下のような応援歌だったそうです。
舞鶴城下八百の
健児の意気は天をつく
立て立て奮え皆奮え
奮えて上げよ 勝ちどきを
フレ フレ 佐土原
フレ フレ 佐土原
☆この歌詞のうち、舞鶴城下○○の、の○○は人口の増加によって変わったそうです。
30 十ケ町村運動会 masa&kazuのmasa - 2003/05/15 21:47
☆otiさんへ
早速ルポをされるところが、すごいです。佐土原んこつを、よー考えちょりゃっとやな、と思います。運動会熱気が伝わってくるようです。
☆ひょうきんたろさん
どこかで、あなたとその話になって、韓国語の抑揚と、佐土原弁の抑揚は似ちょっがねー、ということで盛り上がりましたね。新たな発見があったらまたおしえてください。
29 佐土原の図書館 ひょうきんたろ - 2003/05/14 00:49
佐土原弁も奥が深いですよ。
思い出して下さい。
昭和30年代、近所のじさんや、ばさんの言葉は、
外国語、それも韓国語に聞こえましたよ。
でよ、とかは、韓国語に似ていますよね。
それで、日向言葉の辞典は、確か私の実家にあります。
一度、調べてみましょう。
28 ウガシラ! masa&kazuのmasa - 2003/05/10 22:07
若葉の五月植物たちはすごい勢いです。
「うがしら」「おかんにでれ」???これはきのう発見?した佐土原弁です。
「うがしら」とは髪の多い様子をあらわす言葉で、「おまや、うがしらじゃかい、はよきらんといかんど」というふうに使っていた(たぶんこの言葉はあまり聞かれたことはないと思います)ようです。
「おかん」とはたぶん往還だろうと情報提供者はいっていました。「わりこつすっもんな、おかんにでちょけ!」~「悪いことをする人は、外に出ておきなさい!」という意味だそうです。
調べてみると、「知らない佐土原弁」がたくさんありそうです。書籍などでこれを読むといい、といった情報があれば教えていただけたら幸甚です。
27 十ケ町村運動会 masa&kazuのmasa - 2003/05/10 10:38
昨日久しぶりに大正12年生まれの79才の母の昔話を聞きました。それは十ケ町村合同の大運動会が昔あったという話でした。
どこどこの誰ちゃんはまこつ足が速えかった、とか優勝した佐土原のだれだれさんたちが歌を歌いながら、旗をもって町をまわりゃったわ。
いつ頃かと聞くと、私が小学校に入った頃じゃかい昭和五年頃じゃね、とのこと懐かしそうに話していました。
十ケ町村は、佐土原、広瀬、那珂、都於郡、三納、三財、妻、新田、富田、穂北だったと言っていたと思います。
町や村の一番足の速い人が選手だったので、それはそれは見事だったようです。
昔から運動会はあったのですね。
26 たった一つの田舎 ひょうきんたろ - 2003/04/29 23:48
宝塔山はたったひとつの山。
何十年もたっても今も生きている懐かしい山。
何十年も変わらなかった佐土原も、
知らず知らずに変わって行っているようですね。
例えば、西都までの高速道路、
那珂から巨田の後ろに抜けるバイパス、
佐土原駅前の再開発など。
最近は宝塔山程度の山も、簡単に削ってしまいます。
もちろんそれは経済の発展のためですが、
ご先祖の代から大切にしてきた宝塔山は、
大切にしたいものの一つです。
住民の借金だけ残って、外国の企業をもうけさせるような、
どこかの轍はふみたくないものですね。
25 わらび取り。 masa&kazuのmasa - 2003/04/28 23:52
おひさしぶりです。
宝塔山といえばたくさんの思い出があります。友達と昆虫採集で、サツマニシキという蛾を捕まえ、新種発見と騒いだこと。(あとで図鑑に載っていてがっかり)クワガタとり、どんと幹をけってシンと耳を澄まし、パタッという音のしたとこにいってヒラタクワガタを手にしたときの嬉しさ・・・。
そのころ昭和41~2年頃は、宝塔山の大光寺側の北斜面は、支えのあててある、杉の苗が植えてあり、ワラビがよくとれました。またジガバチがいて、赤土に穴を掘って巣をつくり餌を取って来ては穴にもぐっていました。
一昨年でしたか、息子たちを車に乗せて大光寺側から上がってみて、びっくりしたのは、杉が林立していたことです。ちょっと鬱蒼としていて遊んでいた頃からすると35年が経ったのかと感慨にふけったものです。
では、またお邪魔します。
24 懐かしいですね。 oti - 2003/03/31 19:31
こんにちは。
宝塔山は、公園になっていますよ。
車でほとんど頂上まであがれます。
先日行った時には,登山道の工事中でした。
桜は,たくさん植えてあります。
でも,今のところ廻りの木は,切ってなかったと思います。
あまり、良い眺望は,えられなかったと思います。
久しぶりに私も登ってみたくなりました。
それでは,又。
23 宝塔山の桜 ひょうきんたろ - 2003/03/30 08:43
桜の花が咲き始めました。
大分でも、福岡でも、桜は満開に近づいています。
佐土原の宝塔山の桜はどうでしょうか。
子どものころは、暇があれば宝塔山に登っていました。
春は宝塔山の桜を見たくなっては、よく宝塔山に登りました。
子どものころに、うっそうとした宝塔山の木々を切り払い、
さっぱりとした山でしたが、今はどうなっているのでしょうか。
杉の木が伸びて、少し暗い山に戻ってはいませんか。
山の上でも、元気にヤッホーはできますか。
22 佐土原もテレビに出る? ひょうきんたろ - 2003/02/27 21:14
NHKの来年の正月のテレビドラマで、
大分の戦国大名、大友宗麟が取り上げられることになったそうです。
原作は、こちらで紹介した遠藤周作の「王の挽歌」です。
伊東マンショのことも出てくるでしょうし、
佐土原の話しも出て来るかもしれませんね。
ちょっと楽しみです。
21 よみがえれ一ッ瀬川 ひょうきんたろ - 2003/02/15 21:26
本日の朝日新聞に、佐土原町のホンダロックのが載りました。
このホンダの子会社は、発ガン性の疑いのある、
六価クロムという物質が、
工場の敷地内で基準値の144倍を検出されながら、
今まで届け出をしていなかったということでした。
ホンダロックから出る工場排水で、
石崎川の魚にはまともなものがいないと、
噂で聞いていました。
きっとこれは本当だったのですね。
よみがえってほしいですね。石崎川!
そして一ッ瀬川も。
20 歴史ある佐土原 ひょうきんたろ - 2003/02/11 20:09
歴史ある佐土原の名前は、やはりずっと残ってほしいですね。
このことを考えながら思うのは、昔、佐土原町ができた時、
那珂や広瀬の名前が消えたことです。
また博多と福岡が合併した時の逸話も思い出しました。
国鉄駅には博多として、市の名前は福岡にして、
全国的にも博多の名前は残しました。
佐土原が広瀬と合併したときも、
広瀬駅にして、佐土原町とする方法も、あったはずです。
合併が本決まりではないでしょうが、
とにかく知恵をしぼって、佐土原の名前を残したいですね。
佐土原関係のみなさん。
佐土原に住んだことのないうちの子どもたちも、
宮崎との合併で佐土原の名前がなくなるかもと言ったら、
ショックを受けていましたからね。
19 ひょうきん太郎さん。同感です。 oti - 2003/02/03 18:36
今日は,ひょうきん太郎さん。
本当ですね。すこし、さびしいですね。
合併の話は,新富町とも、あるそうです
詳しい話はしりません。
でも、歴史的には,新富町との付き合いが,長いと思うのですが。
宮崎市が、良いという人と半分半分の割合だそうです。
私個人としては、佐土原の名前が残ってほしいですね。
どちらが,良いと思いますか。
18 佐土原と宮崎は合併する? ひょうきんたろ - 2003/02/01 22:04
本日の宮崎日日新聞のホームページで、
宮崎と佐土原町が、合併協議会を発足させたようです。
時代の流れかもしれませんが、
ちょっと寂しいな。
17 新年ご挨拶 ひょうきんたろ - 2003/01/02 11:48
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
管理人のottiさん。
また今年も投稿させて頂きます。
よろしくお願いします。
16 歌舞伎&浄瑠璃 kazu&masaのmzsa - 2002/12/24 08:57
otiさんコメントありがとうございました。
otiさんに言われてはじめて歌舞伎≠浄瑠璃だったと
意識したのです。なんとぼんやり!
歌舞伎、浄瑠璃、それぞれ調べてみようと思います。
15 浄瑠璃ですか oti - 2002/12/23 16:50
masaさん、今日は。
早速、上江座のことを書いてくれてありがとうございます。
そうですか。「浄瑠璃」ですか。
勉強不足で浄瑠璃と歌舞伎との違いが,良くわかりません。
話を聴いていると、昔は,そのような芸能が、ずいぶんと盛んだったのですね。
残念ながら、私は本物を見たことが,ありません。
すごい、経験でしたね。
これからも,色々調べていきましょうね。
それでは,又。
14 浄瑠璃のこと kazu&masaのmasa - 2002/12/21 20:41
otiさんご無沙汰しておりました。お元気のことと思います。
今日は、祖父のことを書きたくておじゃましました。と言いますのも、otiさんがHPに「上江座」のことを書いておられますが、この文に僕の心のどこかが触発されたのだと思います。
僕の祖父は平成5年、満100歳でこの世を去りました。
祖父はある日、たぶん喜寿のお祝いの席だったと思うのですが、まるでトランス状態に入ったかのように、首を振りながら浄瑠璃をよどみなく見事に唄いあげたのです。
小学生だった僕は、「すごいもんじゃ、なんであんげでくっとやろか」と思ったものです。
昨日、母の昔話でそのなぞがとけました。母によると、祖父は母が小5(昭和8年)の頃には(計算してみると祖父39歳だと思います)、夏祭りで座を設け(たぶん仲間たちと~旧岡峰歯科あたりに)、そこで浄瑠璃を披露していたとのことです。
otiさんが上江座のことをかいておられますが、関係があるかもしれないなと思っています。
ちなみに祖父に浄瑠璃を教えていたのは、上田ケサさん(通称おけさご)だったそうです。
今の佐土原郵便局のとなり(南側)に住んでおられたそうで、三味線の腕も相当なものだったそうです。
想像するに、祖父は農作業の終わったその足で習いに行く位、浄瑠璃が好きだったのではないかと思います。
「芸能」好きな言葉です。佐土原の芸能の歴史、知りたいものです。
13 いらっしゃい。ももたろうさん。 oti - 2002/12/19 21:54
いらっしゃい。ももたろうさん。
県外に出るとふるさとの良さが、わかりますよね。
これからも、よろしく。
12 はじめまして ももたろう - 2002/12/19 18:03
はじめまして。山口県に住んでいる佐土原出身のももたろうです。宮崎が大好きで、こちらにいると佐土原がとても懐かしくて
帰郷できる日を楽しみにしています。宮崎は暖かいなあと、つくづく思います。「くじらようかん」を買いにまた帰りまーす。
11 元気でしたか oti - 2002/12/19 10:52
masaさん。お久しぶり。
元気でしたか。
そうですか。公道だったのですか。
古い地図では,この道が、載っています。
今の道は,ないようです。
御牧赤報先生の墓へ、行ったときにその道をとおりました。
とても狭い道になっていました。
時の流れを感じますね。
それでは,また
10 アドレスが,変わるよ oti - 2002/11/08 09:47
今日は。
ひょうきんたろうさんの、レポートが,たのしみですね。
ところで、皆さんに、お知らせが,あります。
11月9日から、ホームページのアドレスが,変わるそうです。
すみません。連絡が,おくれました。
どうなるのか,良くわかりません。
とりあえず、新しい,アドレスを,載せます。
宜しく。
http://o-yasu.hp.infoseek.co.jp
9 祝 掲示板の引越し ひょうきんたろ - 2002/10/05 23:44
掲示板が新しくなりましたね。おめでとうございます。
閲覧者の合計ももうすぐ1000人に達しそうです。楽しみですね。
吉村 昭の「生麦事件」を読みました。
日本の歴史を回した薩英戦争での旧佐土原藩の役割。
今度レポートします。
8 はじめまして
投稿者:足の速いホリ 2002/05/04 (土) 22:24
お久しぶりです イノウエ君から葉書をもらい、このページのことを知りました
私も毎日忙しくしています お元気ですか? 雨の日の草抜き、私も毎回試しています 地面が柔らかいとよく抜けますね お体に気を付けて頑張ってください
7 元気ですか。
投稿者:深俣のひょうきんたろ - 2002/05/07 (火) 23:55
むかしは、かもしかのようだったほりさん、こんにちは。
ご返事をいただき、嬉しかったです。
わたしも県外ですが、佐土原のことは忘れたらいかんなと、
いまごろつくづく思います。
本州でしたか、そちらでも元気で頑張ってください。
管理人さんもがんばっちょります。
我々もこのページ、応援しちょります。(^^)
6 はじめまして。
投稿者:どらえもん 2002/05/08 (水) 23:55
今日は、主人の代理です。
最近ここを見つけたらしく「夜な夜な」ビール片手に
訪問してるみたいなんです。
ところが「終了する」との文字が!!
ショックで落ち込んでます。
楽しみを奪わないでくれません??
ちなみに、佐小出身らしい・・・。
5 同窓会のアドレス
投稿者:深俣のひょうきんたろ - 2002/05/09 (木) 22:47
パスワード制度による私のホームページは、トップパージからも入れますが、
http://sadowaranko.intranets.co.jp/login.asp?link=
です。
もちろんイントラネッツという会社のを借りた、
レンタルの安直ホームページです。
同級生向けに、パスワードを発行して写真を掲示しています。
どらえもんさんへのご返事、言葉足りずでしたので、追加しました。
誤解を招いて失礼しました。 こちらのホームページのサポーターの「ひょうきんたろ」です。
すっかり誤解を招いてしまい、失礼致しました。m(__)m
終了しようと思ったのは、私がやっている別のページです。
同級生だけに見せるために、
パスワードを発行して、やっている別のページです。
ご安心下さい。そして、誤解を招いて失礼いたしました。
お詫びして訂正いたします。(^^;)
4 熊本市内の佐土原町
投稿者:ひょうきんたろ 2002/05/28 (火) 23:00
ある方と話していたら、熊本市内に佐土原町というところがあり、
そこは佐土原の人たちが移住して作った町だとのことでした。
熊本の友人に確認したら、
たしかに熊本市のど真ん中に佐土原町があることがわかりました。
しかもけっこう大きい町。
これは佐土原と歴史的に関連はあるのでしょうか。
知っている人がいたら教えて下さい。
この謎解きで、ちょっとした小説ができるかも。
わくわくしますね。
3 さどわら弁の復習が必要か?
投稿者:ひょうきんたろ 2002/05/20 (月) 23:45
サポーターのひょうきんたろです。
やっと管理人さんがこちらの書き込みに気が付いてくれました。(^^)
でも気になるのは、さどわら弁で、ひょうきんたろと、
ひょうきんぼはいっしょなんですかね。
もう一度さどわら弁の復習が必要な、ひょうきんたろ、
でした。(^^)/
2 小中同窓会のページの見方
投稿者:深俣のひょうきんたろ 2002/05/08 (水) 22:03
この上にある小中同窓会のページの見方ですが、
登録制(認証制)にしています。
というのも、なにしろ実名入りの人物写真の掲示です。
最近は悪い人も多く、
プライバシー上、念を入れてということです。
見たい方は、管理人さんか小生にメールしてみてください。
何しろ閑古鳥が鳴いています。(笑い)
もう終了にしようかと思ってます。
見たい方がいれば幸いです。よろしく、です。m(__)m
1 最近のカラオケ十八番
投稿者:ひょうきんたろ 2002/04/06 (土) 19:55
最近のカラオケ18番は、杉田二郎の「おとこどうし」です。
たしかこんな歌詞でした。
君には可愛い 恋人ができたという 我が家の嫁さんには こどもが
しらけた時代だね うすっぺらな言葉だけど 友情はこわれないと
むきになって叫びたいこのごろだ
ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ
秋のまつりのころだし みんなが揃うだろう
だって おとこどうしじゃないか 昔のように 話し明かそうよ
二番が思いつきませんので、今度書きます。
ところで、この歌詞を佐土原弁にしたらどんげかな?
と最近よく思います。
1a おとこどうしの二番
投稿者:ひょうきんたろ - 2002/04/08 (月) 00:03
おとこどうしの二番を思い出しました。
馬鹿がつくほどに 正直すぎる君だから 寂しさに酔いしれる時もある
昔ならいつでも 愉快な仲間たちが すぐにやって来ただろう
泣いて笑った幼なともだちだ
ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ
手紙だけでは 言えない 話しをしようよ
だって おとこどうしじゃないか むかしのように 話しあかそうよ
ふるさとに帰ったら 俺にまかせておくれ
無理を承知で あの娘(こ)も ひっぱり出すつもりさ
だって おとこどうしじゃないか むかしのように 話しあかそうよ
杉田二郎さんが出演された番組を、最近テレビで見て、
いい歌だなと 今さらながら 思いました。
その時の話しでは、友だちの北山修さんの留学先のイギリス(?)で、
二人で作ったうただそうです。
ふるさとの部分を その土地(さどわら)にすると 盛り上がります。
1b おめでとうございます。
投稿者:masa&kazuのmasa 2002/06/13 (木) 14:49
HPアクセス500突破おめでとうございます。
ときどき見せていただいています。
ではまた。
1c 土の匂い
投稿者:kazu&masa 2002/03/24 (日) 13:04
土のことを管理人さんが書かれていました。この季節早いところではしろかきするところもあるのでしょうか。レンゲのにおいと田んぼのにおい思い出すだけでいい気分になります。生活と環境が深く密着できていたと言うことでしょうね。
宝塔山、桜八部ぐらいでしょうか。
昨日の追加です。 もう佐土原、春がきたのでしょうね。
昨日の小生の書き込みの「ふるさとは人間の土台だ、と大げさに言います」=大げさに言うのは小生自身ですので・・・。
宝塔山の桜のつぼみもふくらんでいることでしょう。
1d 掲示板開設おめでとうございます
投稿者:kazu&masa 2002/03/09 (土) 23:17
掲示板ができていたのでお邪魔します。
このHPを訪れるたび、いろいろなことを思い出します。
不思議です。
思い出にふけって、感傷的になるという意味ではありません。ふるさとは人間の土台だ、と大げさに言います。
また来ます。皆さんお元気で。